私は、大人になってから覚えた好きな言葉が2つある。
なぜ好きかというと、気楽になるからだ。
あなたも、気楽になれる言葉を知っておいた方が良い。
そして、私も、これらの言葉で、もっと気楽になっておけば良かったのだ。
そうすれば、もっと幸福になれただろう。

その、たった2つの言葉は、
「神に出来ないことはない」
「私はこの世界で唯一の考える主体である」
だ。
唱えれば気楽になる言葉だが、気楽になるということは、宇宙的に正しい認識に導く言葉なのであるが、ある意味、心を訓練、あるいは、調整する言葉だ。
これらの言葉で、心を整えておけば、ナーマスマラナ(神仏の名を心で唱える行)、真言、アファーメーションが、即座に威力を現わすのである。

「神に出来ないことはない」
神の万能性を示す言葉で、当たり前の事実を指すが、当たり前のことを改めて想うと心は落ち着くのである。
しかも、これは絶対的な真理であるので、心は清々しくなる。
そして、神は味方であるに決まっているし、イエスが神を父と言ったように、あなたを息子と思い、この上ない気遣いをしてくれるに決まっているのである。
よって、この上なく気楽になるわけである。
自分の父が億万長者であるとか、王様であると知っているだけで安心するはずだ。
ましてや、神様なのだ。
因幡の源左(いなばのげんざ。江戸末期から昭和初期の念仏者。庶民だが高徳な妙好人)の父親は、自分が死ぬ時、源左に「これからは親様を頼れ」と言ったが、この親様とは阿弥陀如来のことで、宇宙最強の存在を指しているのである。それが、今からお前の親だと言っているのである。
黒住宗忠(江戸末期の神道家。黒住神道の開祖)も、天照大神(アマテラスオホミカミ)を親様と呼んでいた。尚、宗忠が言う天照大神は、神話の女神ではなく、唯一絶対神を指していた。

「私はこの世界で唯一の考える主体である」
この世に存在するのは私だけなのである。釈迦が言ったという、「天上天下唯我独尊(世界で我一人尊い)」に近いか同じと思う。
他の人間も考えているように感じるかもしれないが、それは見かけだけである。
世界はショーであり、幼稚園の演劇のようなものである。
全て自作自演であり、世界は、自分が思った通りになる。
一方で、予期しない出来事があるからこそ人生は面白いのであるが、予期しないように見える出来事だって、実は、自分が作ったシナリオなのだ。
どうせ芝居なんだからと悪夢を作ってきたかもしれないが、悪夢にはまり込んでしまった感はある。
気を変えるには、自分が神であることを思い出す必要があるが、そのために、神仏の名や真言、あるいは、アファーメーションを行うのだが、よほど酔ってない限りは、神仏の名を唱えるのが一番良い。
ただし、酔っているなら、真言やアファーメーションで、酔っ払いが頭を一振りするように、しっかりした方が良い。

諸君、拍手を。喜劇は終わった。
~ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン~

だが、今、私は、知った、
二千年つづいた石の眠りが
揺り籠(かご)にゆすられて眠りを乱され、悪夢にうなされたのを。
~『再臨(The Second Coming)』(W.B.イェイツ)岩波文庫『イェイツ詩集』より~








  
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