『ヒマラヤ聖者の生活探求 第3巻 因果の超克』の「第15章 神の波動と蘇りの原理」で、イエスが言う。

「これからあなたたちにお話するが、よくそれを自分自身に言い聞かせて欲しい。もしあなたたちがこれからいうことを自分でもその通りに言うか、又はそれを自分自身の一部とするならば、もうそのほかのものは何も要らないのである」

つまり、イエスが語る究極の秘法である。
それは難しいのか?
いや、これほど簡単なことはないと言える。
え?早く言えって?(笑)

では言うが、早合点しないことをお願いしたい。
魔法のステッキをおたま(調理道具)として使ってはならないし、1日に千里を駆ける馬に石運びをさせては(『戦国策』より)ならない。
そんな愚かなことをしてはならない。

その秘法とは、「神」という言葉を、なるべく多く使うことだ。
つまり、「神」と言葉で言えば良いのである。
声に出して言うか、心の中で言うかについては、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻』で、「どちらでも全く同じ」と明記されている。
ただし、この5巻で、「神という言葉を呪文にしてはならない。唱えるのは1回で良い」と書かれているのを見て、私は最初、困惑した。
イエスは、「なるべく多く使え」と言っているではないか?
しかし、それは、空虚に「神、神、神、・・・」と唱えてはいけないということと理解して良いと思う。
かといって、感情込めて「神、神」と唱えるのとは違うと思う。
ここらは、各自、考えれば良いことであるが、私がいつも言うのは、「丁寧に唱えよ」ということである。
ただ、丁寧と言っても、それで緊張して疲れてしまうようでは、長く続かない。
それで、私が考え出した方法は、「心の中で、微かな声で唱える」である。
そうすると、自然に集中が起こり、理想的に唱えられる。
だが、各自、思うようにやれば良いと思う。

ちなみに、日本語では、本当に「神」で良い。
『ヒマラヤ聖者の生活探求の』原書(Life and Teaching of the Masters of the Far East,)で確認すれば、やはり、「GOD」であった。
さらに言えば、日本語の「神(カミ)」は荘厳な言霊であるから、尚良いのである。

私がいつもお勧めするナーマスマラナ(神の名を心で唱える行。念仏もその1つ)では、「クリシュナ」や「イエス」や「天照大神」や「阿弥陀仏」といった、個々の神仏の名を唱える。
しかし、イエスの方法は、その根本概念とも言える「神」と唱える。
これについては、私は、性に合う方、あるいは、両方やって欲しいと思う。
イエスも、個々の神の名を唱えることを否定してはいない。
ただし、『ヒマラヤ聖者の生活探求 第5巻』では、「神」という言葉の波動は、「エホバ(旧約聖書の神の名)」の波動より高いと書かれている。

今回は、ここまでにする。
私が考える、日本人にとって、最高の波動を持つ神の名は、また述べる。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ