今は、「引き寄せ」という言い方をすることが多いが、本来の概念では「魔法」と言うべきものが、「引き寄せ」とか「潜在意識の法則」とか「超能力」とか「霊能力」として、その使い方が本に書かれている。中には、人気があって、かなり売れているものもある。
ただ、残念なことに、使い方の説明に1分以上かかるものは(つまり、一冊の本になった時点で)使えないのだ。
なぜなら、魔法は考えたら使えないからだ。
使うのに説明を必要とするということは、頭を使うということであるが、思考を通して行うことは魔法ではない。
魔法は、ただ一言で教えられる。
それは、「神の名を唱えよ」だ。

ところが、私は、神(あるいは仏)の名を1つも知らなかった。
二十歳過ぎた頃にも、「天照大神(あまてらすおほみかみ)」を読めなかったし、何となく、阿弥陀とか観音という言葉は知っていても、それらの仏の名前を正しくは知らなかった。
本来は、子供の時から知っている神仏の名を唱えるのが一番であるが、私には、そのようなものがなかったのである。
とはいえ、日本語というのは、一語一語が神なのであり、おそらく、太古の昔、日本人の祖先は、単純な言葉の1つ、あるいは、いくつかを組み合わせて(おそらくは心で)唱えるだけで、岩を浮かせるようなことを軽々と行ったのだと思う。
だから、子供でも、「えい」とか「やー」とか「たー」といった、お決まりの愛用の掛け声を使う子は、その言葉の神が手助けしてくれ、驚くようなことをしているのかもしれない。
実際、私も、ここでも何度も書いたが、子供の時から、およそあり得ない奇跡を何度も起こしてきたのは、いつも(掛け声などで)使う特定の言葉に宿った神の力によるのだと思う。
一語であっても、神であるからには、強い力を持ち、昨日も書いたが、「ア(アー)」だけでも、唱えれば、悩みが消えてしまう。
もちろん、それぞれの言葉の神には個性もあるだろうが、やり方が違うだけで、普通のことであれば、何でも出来るのだと思う。

その中で、調べていたら、「トホカミヱヒタメ」という、8つの言葉が表す8柱の神を唱えるのは良いことであると思った。
よく「トホカミエミタメ」と言われているが、正しくは、「トホカミヱヒタメ」である。
私のように、子供の時に馴染みの神の名を持たなかった者で、どうも親しみの湧く神や仏の名前がない場合、たった一語の神の名を、心で丁寧に唱えれば良いと思う。それだけで、必ず恵があるだろう。
あるいは、「トホカミヱヒタメ」の8柱の神の名を唱えると良いだろう。








  
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