優れた野球のバッターになりたいなら、1回でも多く素振りをすれば良いのだし、剣の達人になりたければ、やはり、1度でも多く剣を振れば良い。
結果、「いつもバット振ってるよね」「暇さえあれば剣を振ってるよね」と言われるようになる。
誰も見ていなければ、壁や天井や床がそう言ってくれる。

「でも、俺、バッターでも剣士でもないし」なんて思ってはならない。
私は、一流の経営者が部下の幹部達に、
「俺とお前達との差は、素振りの回数だ」
と言うのを聞いたことがある。
こう言えば、「つまり、努力しろってことだな」と思うかもしれない。
しかし、苦しい努力は長続きしない・・・というのも、さっきの一流の経営者が言ったことなのだ。

これに関しては、何かで世界一、あるいは、史上一の人に学ぶのも良いかもしれない。
それで思い出すのが、有名なプロレスラーだったジャイアント馬場さんのことだ。
彼は、世界一でも、まして、史上一でもないが、世界一、史上一に学んで、日本一、アジア一になったのだ。
なら、我々だって、会社一(笑)・・・いや、もしかしたら、業界一くらいにはなれるかもしれない。
上の、一流の経営者は、おそらく、日本の業界で30番くらいだった・・・いや、それでも大したものなのだ。
日本で30番のイラストレーターやパティシエなら大金持ちだ。

で、馬場さんが学んだ世界一、史上一は、バディ・ロジャースという超一流のレスラーだった。
馬場さんは、心底、ロジャースに憧れていた。
ご存じかもしれないが、プロレスは決してスポーツではない。ショーである。
これはもう、あるプロレスの元レフェリー(ミスター高橋さんだが)が著書でモロにバラし、その元レフェリーは「あの本のことで誰も文句は言って来なかった」と言っているようだ。
馬場さんが、ロジャースの「世界一の素振り」について、こんなことを本に書いている(自分では書いていないだろうが、言ったのだとは思う。ちなみに、どの本だったかは分からない)。
馬場さんの時代、アメリカでは、プロレスラー達は、次の試合会場のある町まで個々に移動したが、自然、集団で移動することになる。行先は同じなのだから。
よく一緒に移動するレスラー同士は顔馴染みになり、仲良くなる(反りが合わない者同士もいるだろうが)。
それで、移動中の電車の中で、仲の良い者同士、一緒に酒を飲みながら雑談したり、トランプゲームなどをするようになる。
ところが、ロジャースは、そういったことを全くしなかったそうだ。
馬場さんは、ロジャースはいつも「考えていた」と言う。
ロジャースは常に、プロレスのことを考えていたらしい。
試合でやることとか、ショーマンシップとか、とにかく、お客さんを喜ばせることをロジャースは考えていたのだ。
馬場さんは、「そりゃ、ずっと考えている人と、そうでない人では差がつきますよ」と述べている。
ちなみに、上で述べた「元レフェリー」、ミスター高橋さんも、ずっとプロレスのことを考えていたのだろう。だから、あんな本を書いても、誰にも文句を言われないのだと思う。

パスカルの「人間は考える葦である」の通り、1日中、何を考えているかで勝負は決まるのだろう。
藤井翔太君は、きっと、1日中、将棋のことを考えているのだ。これは、憶持(常に念頭に置いて忘れないこと)しているということだ。
藤井君と、他の棋士の違いは、憶持の差・・・それが、あの一流の経営者が言う「素振りの差」なのだろう。
それは単に、「注意を向ける」「意識する」程度のことかもしれない。
しかし、平凡な人間は、その注意や意識が分散し、散漫になるのだ。
『観無量寿経』(『浄土三部経』の中の1つの経典)で、釈迦は、ただ「阿弥陀仏の名を億時せよ」と言ったのである。それが正しい念仏である。

引用した本と、これらのことについて、参考になりそうな本を下にご紹介しておく。








  
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