日本も現在、侵略を受けている。
侵略と言っても、以前のようにドンパチ(ミサイルや戦闘機や機関銃)で攻めて来るのではない。
敵の攻撃は洗脳であり、侵略するのは我々の脳・心である。
その洗脳は、テレビ、新聞、学校、金融、映画、書籍を通して長年行われてきたが、いまや敵は、インターネット(SNSを含む)を手中に収めつつある。
その中で、我々の状況は、不利といった程度のものではない。
なぜなら、大半の者は、侵略を受けていることや、敵の存在にすら気付いていないのだから。
我々は何より、直ちに、敵の存在、敵の侵略事実を認識しなければならない。

どうすれば、それを認識出来るか?
何ごとも、まず、喩えが少しは役立つかもしれない。
萩尾望都さんが、レイ・ブラッドベリの『スは宇宙(スペース)のス』を中心に漫画化した作品、『ウは宇宙船のウ』の中の、『ぼくの地下室においで』を読むと良い。
ブラッドベリ自身の小説『スは宇宙(スペース)のス』でも良いが、これは売り切れのことが多く、何より、萩尾さんの漫画が良い。彼女は天才だ。
もちろん、この作品では、象徴的に描いているが、あの通りのことが、今、本当に起きている。
『ぼくの地下室においで』の中で、大学生のロジャーは、異常事態に気付いていた稀有な人間だった。
そして、彼は、ガールフレンドのマニーに警告するが、マニーは、いきなりだったこともあり、ほとんど理解出来なかった(だが、少なくとも真面目に聞いてくれた)。
最後にロジャーは言う。
「時間切れになるまえに…間に合ううちに…さもなきゃ僕らは…みな…おしまいだよ…!」
では、ロジャーはどうしろと言ったのか?
「気をつけろ」
「六感を・・・直観を働かせるんだ」
「頭の細胞全部使うんだ」

しかし、それではもう遅いかもしれない。
そこで、もっと良い方法を教えよう。
敵が手をつけられないものを使うのだ。
それは、神仏の名だ。
確かに、敵は、自分達の都合の良いように、神や仏の一般概念を穢し切り、歪めてしまった。
しかし、神仏の名には、決して手は出せない。
天照大神、阿弥陀仏、観世音菩薩、弥勒菩薩、イエス、クリシュナ・・・。
好きな神の名を、心の中で丁寧に唱えることだ。
神仏の名は、人がつけたものではない。
高次の魂が、高貴な人間の魂に伝えたものなのだ。それは、1つの神仏が、様々な言語での名前になる時にも、必ずそうだった。
そして、神仏の名を唱えると・・・心の中で丁寧に唱え続けるとどうなるだろう?
W.B.イェイツが『悪魔と野獣』で、

夜となく昼となく私を悩ませる
あの狡猾な悪魔とあの騒々しいい野獣が
少なくとも、ある瞬間だけは
私の視界から走り去ったのである。
~『W・B・イェイツ全詩集』(鈴木弘訳)より~

と述べたように、あるいは、T.E.ロレンスが『知恵の七柱』で

世界の物音、香り、彩が、思考の篩(ふるい)を通過せず、思考によって類型化されることなく、まさにそのもの自体として人間を直撃する
~『右脳の冒険』(コリン・ウィルソン著)より~

といったように、魂は神と融合し、全てが明らかになると共に、既に敵に打ち勝っているのである。
これが、神仏の名の神秘の力である。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ