真言を、より楽しく、快適に唱え、ひいては、早く願いを叶えるために、関連の聖典を1つ読んでおくと良いと思う。
聖典の多くは、本来、子供でも読めるほど易しいもので、それに、おとぎ話のようで面白いものだ。まあ、難しく翻訳したい先生がいるから、少し困るのであるが、聖なる書は、誰でも簡単に読めてしかるべきものである。

主に、念仏と、観世音菩薩について述べる。

念仏の場合、元々、法然の『選択本願念仏集』と、親鸞の弟子、唯円が親鸞の教えを書いた『歎異抄』があり、特に、『歎異抄』は短くて読み易いので、これ1冊でも十分である。
ただ、念仏の場合、『浄土三部経』と呼ばれる、『無量寿経(大無量寿経)』『観無量寿経』『阿弥陀経』の3つが、根本聖典になっている。
(龍樹の『十住毘婆沙論』を挙げる人もいるだろうが、これも、主に『観無量寿経』を元にしている)
この中で、私は、『観無量寿経』をお勧めする。
理由は、短くて、おとぎ話のようで面白いということもあるが、阿弥陀仏や観世音菩薩、それに、勢至菩薩について、釈迦が詳しく、素晴らしい説明をしてくれているので、念仏を唱える時に、良いイメージが持てるからである。
尚、念仏というのは、一般的には「南無阿弥陀仏」であるが、本来は、仏を念じることで、そのためには、名を呼ぶことが最も自然なのである。
だから、特に、「南無阿弥陀仏」でなくても、「阿弥陀」「阿弥陀仏」と唱えても良い。好きなら、サンスクリット語で「アミターバ」と唱えても良い。
また、阿弥陀如来真言である「オン、アミリタ、テイセイ(テイゼイ)、カラウン」も同じと考えて良いと思う。
私は、「阿弥陀仏」と唱えることが多い。そして、その際、『観無量寿経』に書かれた、釈迦が語る阿弥陀仏の印象が微かに心にあり、これが実に良いのである。
私も、『観無量寿経』を、それほど熱心に読み込んではいないが、それでも十分と思う。
また、『観無量寿経』を読むと、阿弥陀仏や観世音菩薩の名がどれほど貴く、その名を唱えることが、どれほど威力があることかも分かるのである。

次に、観世音菩薩の名を唱えることに関しては、『法華経』の25章『観音経』を読むことをお勧めする。
『法華経』全体は長いが、『観音経』だけなら短い。
『観音経』には、観世音菩薩が、どれほど凄い力を持っているかだけでなく、観世音菩薩が、想像も出来ないほど偉い仏(呼び名上は菩薩だが)であるかが釈迦によって語られており、やはり、観世音菩薩の名を唱える時に、わずかでも、その印象があると、やる気が違ってくる。
観世音菩薩の名の唱え方は、「南無観世音菩薩」「観世音菩薩」だが、好きなら、サンスクリット語で「アヴァローキテーシュヴァラ」と唱えても良いし、「観音様」でも良いと思う。
また、観世音菩薩の真言である「オン、アロリキャ、ソワカ」も良い。
ところで、般若心経の呪文、
「ギャテイ、ギャテイ、ハラギャテイ、ハラソウギャテイ、ボウジ、ソワカ」(中国語)
「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」(サンスクリット語)
は、観世音菩薩を讃える意味が大きいので、これを唱える時も、観世音菩薩の印象があるのは、やはり良いと思う。
(中国語、サンスクリット語、いずれを唱えても良く、効果も同じである)

必ずと言うわけではないが、長いものではないので、おとぎ話でも楽しむように、『観無量寿経』や『観音経』を読むと、大きな利益があると思う。
願い事が叶い過ぎて恐くなるかもしれない(笑)。

尚、イエスの名を唱える場合は『新約聖書』の『福音書』を、クリシュナの名を唱えるなら『バガヴァッド・ギーター』を読むと良いだろう。
天照大神の名を唱えるなら、『古事記』の上巻だけでも読んでおくと良いと思う。
ちなみに、私は、『古事記』では、大国主神(おおくにぬしのかみ)と火遠理命(ほおりのみこと)のファンであることを明かしておく(笑)。












  
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