何かを達成するための努力とは1日中やるもので、そこまでやる気がないなら、やらない方が良いくらいだと思う。
漫画家になりたいなら、1日中、漫画を描くようでないといけない。
昨年3月、私は、あるプロの女性イラストレーターの個展に行ったが、会場にはご本人のイラストレーターがおられ、まだ非常に若くて可愛いことに驚いた。
そこで私は彼女に、「どのくらい絵を描いていましたか?」と尋ねると、やはり彼女は「子供の時から、1日中描いていました」と力強く答えられた。
そうでなければ、プロにはなれない。
野球メジャーリーグの最後の4割バッター(現時点)で、生涯出塁率はメジャー歴代1位、三冠王2回(2人のみ)のテッド・ウィリアムズは、少年時代から、起きている時間の全てをバッティングの練習に捧げ、夜は親が無理矢理ベッドに押し込まないと素振りをやめなかったという。

私の場合、ほんの数ヵ月だったし、1日中には程遠かったが、少しでも暇があればプログラミングに関することばかりやり、それで、ゼロからプログラマーになれたのである。

ある有名なミュージシャンは、「ハーモニカを吹いてさえいれば満足出来るやつじゃないと、ミュージシャンになんかなれない」と言っていたが、これもつまり、1日中、音楽をやれるやつじゃなきゃ、ミュージシャンになんかなろうとするなと言うことだろう。
私は、アニメ『ルパン三世』で、次元大介や石川五右衛門が、時間があればすぐに立って、射撃や素振りをやるシーンがないことが残念である。実際の達人とは、そのようなものなのだから。
村田正雄氏の『七仙人の物語』には、大変な術(神通力)を使う仙人らが登場するが、仙人は常に呪文を唱えているのである。この呪文が、仙人の力の秘密である。

どうしても叶えたい目標、あるいは、なりたいものがあるなら、1日中やるのが当たり前である。
それが出来るか自問自答し、とてもそんな気になれないなら、やめておいて、別の目標を探した方が良い。

ただし、強制してやらされたり、苦しみながらやるのでは駄目である。
武道家の堀辺正史は、「誰でも三度の飯より好きなものがあるはず」と言ったが、彼の場合は、喧嘩がそれで、子供の時から喧嘩に明け暮れ、ついに親が教師に呼び出される破目になったが、彼の母親は、息子がこれほど没頭しているものを、止めることはなかった。さりとて、応援せずとも、息子は勝手にやってくれる。

さて、自分には、取り立てて好きなものが思い当たらなかったり、何を始めるにも年齢は関係ないが、とはいえ、プロになるには遅いと思われる場合、私と一緒に、真言を唱えることで超能力者を目指そうではないか?
真言には、仏・菩薩の真言、般若心経の呪文、「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」などの念仏、十言神呪(とことのかじり)という、「アマテラスオホミカミ」と唱えるもの等がある。インドでは神の名(「クリシュナ」や「ラーマ」等)を唱えることを「ナーマスマラナ」と言うが、これも真言である。
真言をたゆまず唱えることで、超能力を得た者が、実際に、かなりいるが、誰でもそうなるのである。
ここでは分かり易く「超能力」と言ったが、それは、世界を自動的に思った通りにする力である。その過程はさりげなく自然で、うんうん唸って念じたり、必死でイメージする必要などはない。
元々、心の力は偉大なのであり、余計な努力の必要はない。心そのものが神、あるいは、仏だからである。
一休は、火打石を撃てば火花を出すように、念仏を唱えると仏の力が現れると言ったが、そのためには、常に念仏を唱えようと思えば良いのである。もちろん、実際に唱えれば唱えるほど良いのだが、1日24時間唱えようと思っていると、深い心は自動的にいつも念仏を唱えるようになるのである。
そのためには、まず、なるべく多く唱えることである。
もう、これに人生を賭けるしかない者は、後悔を先に立て、すぐに真言に励むべきであると思う。








  
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