これは、言ってはならない・・・つまり、タブーなのかもしれないが、所詮、人間は能力なのである。
同じこと(仕事や勉強)を、簡単に苦労もなく出来る者もいれば、どんなに頑張っても出来ない者もいる。
それが現実である。
映画などで、高級な科学者といった登場人物の惚れ惚れする立派さ(さぞ高給取りで周囲からは丁重に接してもらえるはずだ)を見る時、私は、いつも、不潔で危険な場所で、誰からも(子供からすら)蔑まれながらキツい労働をして、わずかしか貰えない者のことを考える・・・といったふうに、現実にある人間の格差について思ってしまうのである。

また、小学生の時でも、他のクラスにまで名を知られるマドンナ的な美少女が、勉強も運動も抜群というのを見ると、その一方で、不細工で性格が悪く、勉強もスポーツも全然駄目という女子がいるのを意識した。
同じ人間でありながら、なぜ、こうも違うのか?
遺伝と言うなら、駄目な人間は親になってはならない・・・というのは、まさに言ってはならないことだが、そう思わざるを得なかったのである。

医者になれるというのも、親の経済力もあるだろうが、やっぱり、それなりに頭が良くないと、医者になれないだろう。
子供の時は、目を輝かせて、博士や偉い人になると言っても、頭が良くなくては絶対無理である。
確かに、博士や偉い人の中には「僕は頭悪いですよ」などと謙遜する人もいるが、そんなことを言うほとんどの人は、好感度を高める目的や、「俺は謙虚な素晴らしいやつだ」という自己満足を味わうためにそう言っているだけで、本当にそう(自分は頭が悪い)だと思っている人は、おそらく、稀と思う。

プログラマーやシステムエンジニアだって、あるレベルより頭が悪かったら、本当になれないのだ。
まして、充実感のある立派な仕事をするプログラマーなどは、かなり頭が良いものである。

だから、何か立派な職業につきたいとか、立派な立場の人物になりたいと思ったら、やみくもに努力するより先に、頭を良くしないといけない。
しかし、ほとんどの人は、頭の良さは生まれつきと思い込んでいるし、実際、頭が悪い者を訓練して、頭が良くなったという話はほとんど全く聞かない。
一部では、頭の良さは育ち、つまり、家庭環境と言う人もいるが、それもつまり、悪い家に生まれ育ったら、どうしようもないということであり、頭の良さは生まれつきと言うのとさほど変わらない。

確かに、頭の良さは、生まれつきであり、また、育った環境ということもある。
しかし、自分で頭を良くすることは出来る。
どうすれば良いのか?
もちろん、真言を唱えることによってである。
もし、真言を唱えて頭が良くならないなら、単に、唱える数が少ないのだ。
年齢は、いくつからでも構わない。
唱える数によっては天才にだってなれるだろう。

ジョージ・アダムスキー(1891~1965)という、宇宙人とのコンタクティー(接触者)を自称、あるいは、支持者にそう言われる人物がいた。
彼が本当に、彼が言うように、宇宙人と接触し、宇宙人の宇宙船に乗って他の惑星に行ったのかは、いまだ分からないとされているし、実際は、ほとんど信じられていないと思う。
もちろん、私にも分からないが、彼が優れた思想や哲学を持っていたことは認めても良いのではないかと思う。
でなければ、これほど世界的な有名人になることはなかったし、亡くなって半世紀以上が過ぎても著書が出版され、支持者も少なくはなく、今でも「アダムスキー型UFO」という言葉が普通に通用するというのは、驚異的と言って差し支えないと思う。
そして、彼の著作などから考えると、能力を高めたり、超能力を獲得するために必要なことは、簡単に言えば、「神を自分より上位に置く」ことであると私は思った。
それはある意味、「謙虚になる」ということだが、それは、人間にとって、簡単そうに見えて、非常に難しい。
その難しいことを実現する具体的手段は、実際はないに等しいのだ。
しかし、真言を唱えれば、時間はかなるとしても、それが確実に出来る。
真言の中でも、仏教の真言(仏や菩薩の真言)は、特に便利で使い易く、そして、効果的である。
仏教というのは、宇宙存在・・・言ってみれば、進化した宇宙人の英知であり、それを地球人が手軽に得られるようにしたのが、仏の名や真言であるからだ。
元はサンスクリット語だったのだろうが、各言語に伝わる中で、多少の変更があっても効果に違いはない。そのように作られたものだからである。
ほとんど別言語に置き換わった「南無阿弥陀仏」や「南無観世音菩薩」でも良いのである。
なぜなら、たとえ「阿弥陀様」とか「観音様」とだけ言ったとしても、仏や菩薩の存在を自分より上に置き、高いものに心を向けようとする行為であるからだ。
それこそが、能力を高め、左脳を超えた右脳の力を活用可能にし、超能力を得ることにつながる最重要な方法なのである。
阿弥陀如来真言の「オン、アミリタ、テイゼイ(あるいは"テイセイ")、カラウン」や観世音菩薩の真言「オン、アロリキャ、ソワカ」の効果も絶大である。これらは、仏や菩薩を称賛する響きのある言葉であり、唱えている者は、自分より高いものがあることを自然に受け入れるのである。
また、般若心経の呪文「ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー」は、特に、観世音菩薩を称賛する言葉であることを覚えておけば、絶妙なリズムを持つこの呪文は、より凄い効果のある真言となってくれるだろう。








  
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