私が子供の時に、テレビで見た何かのヤクザ映画(『極道の妻たち』かもしれない)で、上品な、やや年配の女性(ヤクザの妻かもしれない)が、
「神仏に手を合わせる気持ちがなくなれば終わりです」
と言ったのを、私はよく憶えている。
しかし、今は、そんな気持ちを持っている人は少ないと思う。つまり、終わった人間が多いということか。
だが、逆に言えば、神仏に手を合わせる気持ちを持っていれば大丈夫なのだ。そんな人を神仏は守るだろうから。
神仏に手を合わせるとは、神仏に心を向けるということだ。
そして、念仏を始めとする真言を唱えることが、その最上の方法なのである。

私は、アメリカ最大の真言は、アメリカ合衆国の公式標語「In God We Trust(我々は神を信じる)」であると思う。
この言葉は、1864年から、アメリカの全硬貨に刻印された(紙幣にも印字されていると思う)。
よって、公式標語になったのは1956年だが、事実上、1864年には国家のポリシーだったと見て良いと思う。
現在でも、この言葉は、州の議会堂のドアの上など、公式な場にはよく掲げられている。
アメリカ人が、この言葉に心を向けていた時、すなわち、アメリカ人が神に心を向けていた頃、アメリカは真に強大であったが、アメリカ人がこの言葉を忘れてしまってから、アメリカは弱体化していった。
DS(闇の勢力)は、決して、こんな言葉を唱えないので、正しいアメリカ人が、この言葉を思い出し、この言葉に注意し、この言葉を常に心に保つようになれば、DSに打ち勝ち、トランプ大統領が戻ってくるのが早くなるのだと私は思う。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』で、イエス・キリストは、「神」こそ、至高の言葉であると言った。
「神」も真言と考えて良いと思う。
(英語版『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、「神」はGodと記されている)
聖書が最も偉大な書物である理由は、いかなる書より多く、「神」という言葉が使われているからである(それで言えば、日本では『古事記』が最良の書の1つだろう)。
ただ、イエスは、「神」を公式にしてはならないと言った。
また、著者のベアード.T.スポールディングも、「神」を何度も唱える必要はなく、一度で良いと述べる。
このあたりが難しい。
私は、「神」と丁寧に唱え、後は、その余韻を感じれば良い・・・程度に解釈している。だが、それぞれが解釈すれば良いと思う。
尚、これ1冊単独で読むことも勧められる、秘法満載の書『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻には、ロンドンに住むF.L.ロースンという偉大な人物が唱える言葉、
There is nothing but God.
(神の他に何もない)
が奇跡を起こす話がある。
これもまた、素晴らしい真言である。

神仏に心を向ければ、確実に強大な力の守護を受け、何でもうまくいくのに、我々はそれを忘れた・・・と言うより、忘れさせられたのである。
そして、そんなことは、古臭く、ダサく、そして、何の力もない宗教だと思い込まされている。
おそらくは、DS(闇の勢力)によって。
宗教であるかどうかについては、考え方は自由であるが、宇宙や人間を作り、宇宙を動かす存在に心を向ければ、我々がかつて持っていた、無限の知恵と力を取り戻せるのである。
そのために、最も簡単な方法が真言を唱えることである。
真言には、神の名、念仏、仏教の真言、般若心経の呪文、あるいは、上の「我々は神を信じる」という言葉や、威力が証明された言葉「神様の奇跡が起こる」など、無限にある。
上に述べた、イエスが教えた「神」、あるいは、F.L.ロースンが生涯使った「神の他に何もない」も、偉大な真言である。

自分に合うものを選び取り、唱えれば良い。
私は、阿弥陀如来真言「オン、アミリタ、テイセイ、カラウン」を愛用し、それほど唱えたとは言えないが、それによって、常に良い想いをしてきた。最近では、また、念仏に親しむようになっている。
観世音菩薩真言「南無観世音菩薩」あるいは「観世音菩薩」あるいは「オン、アロリキャ、ソワカ」を唱えるなら、『観音経』(『法華経』25章)を読むと良いかもしれない。








  
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