世に出る人間・・・つまり、有名になる人間は、自我が安定しているのだろう。でないと、やっておれず、破滅してしまう。
有名になるとは、そのくらい、ストレスが溜まるものだと思う。
ただし、心理学者の岸田秀氏の本を見ると、自我が安定した人間はいないらしく、どれほど、どっしりと落ち着いて見える人間でも、さほどでもない・・・つまり、自我がグラグラ揺れているものだという。
岸田氏は、はみ出し者の心理学者で、そもそも、心理学なんて科学でも何でもないイカサマだと書かれていたが、そんな本当のことを言うのだから信用出来る面がある(笑)。
ただ、やはり、有名人で長くやっている人は、普通の人よりは自我が安定している・・・まあ、有体に言えば、図太いのだと思う。

図太くなければ、有名になれないし、ならない方が身のためだろう。
それに、有名人と同じくらいの能力があっても、世に出られる人間は1割もいないらしい。
運やタイミングということもあるし、そもそも、そんなに沢山の人が有名になる必要もない。
そして、有名でなければ商売が続かない人(芸能人がその典型だろうが)は大変だ。
常に話題作りをして、世間に忘れられないようにしなければならない。その苦労は、普通の人には想像も出来ないだろう。

有名かどうかはともかく、成功する人間についても、似たことが言えるだろう。
成功者のストレスは、凡人とは比較にならない。
普通のサラリーマンをやっていてすら、イライラして神経をすり減らしているようなら、成功なんかしたら悲惨だろう(成功の過程で、ある程度鍛えられるのかもしれないが)。
もちろん、普通のサラリーマンしか出来ないような能力では成功しないだろう。
しかし、上にも述べたが、能力があるというだけで成功するわけではない。
作家、事業家、投資家のマックス・ギュンターの本で詳しく説明されていて、やや衝撃を受けたが、成功するかどうかなんて「たまたま」だ。
実際に、正直な成功者は皆、自分が成功したのは、たまたまだと白状している。
そして、私が思うに、たまたま成功することが、果たして幸福なことかどうかは分からないのだ。

有名になるとか成功するかより、人間にとって幸福なことは、むしろ、苦しみが少ないことだ。
世の中には、とんでもない苦しみを背負い、精神がおかしくなったり、その影響で生活が破綻したり、ついには自殺してしまう人も、それなりにいる。
だが、誰でも、大なり小なりの苦しみはあり、苦しみがない人はいない・・・言ってみれば、「みんな、そんなに楽ではない」のである。
だから、人に対して、「君は気楽でいいね」なんて思ったり、まして、言ったりしないことだ。
それは全くの誤解だし、そんなことを言って自分が馬鹿だと証明するよりは、馬鹿だと思われているだけの方が良い(笑)。

苦しみは、過去の悪い行いから来るという「因果応報」が本当なのではと思うことがないだろうか?
『歎異抄』に書かれていることによれば、親鸞ははっきりと、断定的にそう教え、『歎異抄』の著者の唯円は、それを信じていた。
実を言えば、読めば意外と納得出来る。
自分の苦しみは、自分の過去の悪い行いから起こる。いわゆる「ブーメラン効果」だ。
だが、悪いことをしない人間は、善い人間だから悪いことをしないのではなく、悪いことをする因縁(縁)がないだけのことだ。
逆に言えば、善い人間であっても、悪いことをする因縁(縁)があれば、悪いことをしてしまう。
とはいえ、世の中には、いかにも悪いことをしそうな人間が実際に悪いことをする場合が多い。
しかし、さらに深く思惟(心で深く考えること)すれば、本当に善い人間か悪い人間かは、なかなか分からない。
中島敦の『名人伝』の最後で、名人は「私には善と悪の区別がつかない」と言うのを見て、心の深いところで何かを感じるものだろう。

とどのつまり、人間は安楽なのが一番である。
まあ、アイルランドの「20世紀最大の詩人」W.B.イェイツのように、年老いて死を直前に迎えて尚、安らぎを拒否した凄い人もいるが、だからこそ「20世紀最大の詩人」なのだろう。
普通の人は、「20世紀最大」どころか、町内一の詩人になるほどの苦しみも嫌うものである。

真言を唱えても、一切の苦しみがなくなるわけではない。
だが、致命的な苦しみは避けられる可能性が高い。
いや、それどころか、驚くほど苦しみは少なくなる。
悪くても、真言を唱えれば、苦しみがあっても、さほどではなくなり、なんとかやり過ごせるのではないかと思う。
その程度で済むことが幸福なのかもしれない。
私など、何もかもうまくいっていて、良い想いばかりしているが、見方によっては、辛い人生と言えるかもしれない。
とはいえ、おそらく、科学的、論理的にも説明出来ると思うが、真言を唱えれば唱えるほど安楽である。
岡田虎二郎が言ったように「念仏さえ唱えれば、一切の問題が解決し救われる」のは確かである。
壮大なシステムではあるが、この世の仕組みはそうなっているのである。
それは、時々、多少は説明しているつもりであるが、信じていただいて差し支えないレベルには解明されているのである。








  
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