これまで、主に仏教系の真言を取り上げ、それらを唱えることを強くお勧めしてきたが、日本には真言はないのかというと、本来は最上のものがある。
しかし、強力過ぎるためなのか、あるいは、その他の理由なのかは知らないが、その秘密主義には辟易する(閉口する)し、分かっているものでも、どこまで純粋に信頼出来るか分からない。
立派な人が、日本の真言について語っている書籍などもあるが、いかに優れた、あるいは、偉大な人物でも、やはり人間であり、自我がある限りは間違うものであり、特に、日本の真言には微妙な問題があるので、その人だけの解釈を信じるわけにはいかない。
そもそも、専門家同士でも見解が一致しないものの方が多い。
また、専門家を気取った人物が、いかにも根拠がありそうな風で雑論を並べ立てて、「アジマリカン」が最上と言い、別の者は、「トホカミエミタメ」に並ぶものはないと言う。
いずれも、それら自体は素晴らしい真言であるが、そのような者達に穢された感もあり、私は、どうも唱えるのが嫌になった。
それに、この2つは、大祓祝詞もそうだと思うが、本来は天皇が唱えるものであり、我々が唱えて悪いわけではないとは思うが、どこまで我々一般人に相応しいかもまた、分からないのである。
植芝盛平が『古事記』を基に、素晴らしい言霊を説いてくれてはいるが、彼が解説したものを口述した『武産合気』は、かなりの感覚がなければ難しいと思う。

日本に古来から伝わる「アワの歌(アワ歌)」というものは本当に凄いもので、これの劣化版とも言われる空海作の「いろは歌」ですら、唱えると奇跡を起こす。
しかし、それらもまた、いろんな人が、利己的に利用し、イメージを悪くしている。
そのようなことをした者の行く末が心配なほどだ。
ただ、「いろは歌」を子供にきちんと教えていた頃の日本人の精神はしっかりしていたのであると思う。
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やはり、安心して唱えられ、しかも、確実に大いなる恵のある仏教系真言を唱えると良いと思う。
だが、日本の真言の中で、間違いがないものと言うなら、「アオウエイ」がある。
実際は、「アーオーウーエーイー」と伸ばしながら唱える。
これも、恐ろしく強力な真言(言霊、音霊と言うべきかもしれないが)で、これだけで悪霊が祓われ、悩みが消え、全てうまくいくという(佐々木の将人『数霊のメッセージ』より)が、私もそう思う。
「アー」だけでも良いそうであるが。
「アジマリカン」については、もちろん、愛用の真言として、常に唱えても良いが、私のように、悪霊撃退専用の光線銃にするという手もあると思う。

真言は、主となるものを1つ決めておけば、様々なものを唱えると、それに応じた利益がある。
無理して多く覚えるのは止めた方が良いが、私のように、自然に多く覚えたなら、いずれを唱えても必ず効験がある。
とはいえ、根本的には、1つを熱心に唱えれば良いのである。








  
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