野球のバッティングの能力は、素振りの回数で決まる。
そして、いかなることの能力も、バッティングの素振りに相当することで決まる。

私は、セールスマンをしっかりやったという珍しいプログラマーだが、これらの仕事の能力も同じだ。
セールスマンの場合は、飛び込み訪問(事前の連絡なく訪問してセールスを行うこと)が素振りなのである。
沢山の飛び込み訪問をやったセールスマンほど能力が高い。これは、電話セールスでも同じである。
ただ、飛び込み訪問や電話セールスは嫌われ、訪問先から嫌な反応を返されるので、数多くやることは精神的に耐えられない。
そこで、インターネットが普及するよりも前から、セールスマンを使う企業では、セールスマンが飛び込み訪問をしなくて済む方法を画策したが、そのために、実力あるセールスマンがいなくなったのである。
好きか嫌いかの問題はともかく、毎日、長時間の飛び込み訪問を行えば、高給を取る一流セールスマンになれるのは、毎日、長時間の素振りをするバッターが高給を取る一流バッターになれるのと同じだ。

これも、良いかどうかは別にして、受験や学校の試験で良い成績を取るのも同じで、これを、プログラマーの場合より先に述べておくと良いと思う。
大手教育会社のマネージャーと受験について話したことがあるが、彼は多数の東大生に接し、東大合格のコツが分かったようだ。
1人の飛び切り優秀な東大生(その教育会社の教育関係のアルバイトでも高い能力を発揮した)が、合格のコツをシンプルに語ってくれたと言う。
その東大生は、
「東大合格なんて簡単ですよ。参考書1冊暗記すれば良いのです」
と言ったそうだ。
ちなみに、その東大生が言うには、どの参考書も同じらしい(もちろん、それなりに選んだはずだ)から、1冊で良いのである。
しかし、これだけ聞いたら誤解する人が多いだろう。
頭にハチマキを締めて必死で暗記するという古いイメージに近いものを想起する人も多いだろう。
そうではないのだ。
ひたすら、参考書を反復して読むのだ。
よって、その東大生の参考書の表紙はなくなっている。
有体に言えば、彼は頭が良いというよりは、趣味がなく、友達も少ないので、暇だから、そんなことが出来たという部分が大きいのである。
そういえば、極めて有名な、あるインターネットサービスの創始者が、著書に、こんなことを書いていた。
「私と同じようなサービスを行っていた者は沢山いた。その中でなぜ私が勝ったのかというと、暇だったから、私だけが続けたからだ」
これもまた、この言葉通りに受け取ってはならない。
彼は、そのサービスにたっぷり時間をかけたのだ。
他の人が、趣味や交友に費やした時間を、暇にまかせてサービスを眺めたり、軽くつついているうちに、自然に改善点が見え、それをダラダラ改善しているうちに、他より多少良いものになっただけなのだ。
イチローさんも、坂本龍一さんも、暇だったから成功したと言ったら怒られそうだが、実際、そうかもしれないのだ。
(坂本さんは東京芸大の大学院を留年して暇になりたがったが、教授に泣きつかれて、嫌々卒業したらしい)
良かったら、下にご紹介した『大企業の時代は終わったか』と『村上龍と坂本龍一』を読んで考えていただければ幸いである。

で、プログラマーの場合だが、これも同じである。
プログラミングをマスター出来ないなんて言う人がいる。
だが、私だって、初めてプログラミングの本を見た時は、さっぱり分からなかったのだ。
そこで、「分からないなあ。僕にはプログラミングは出来ないなあ」と思ったら、やっぱりプログラミングを出来るようにならないのである。
だが、分からない不快さに耐えながら、ダラダラ読み続けただけなのだ。
暇だったからね(笑)。

つまり、何ごとも、暇であることが成功の条件になる。
時間を浪費する遊びや交友がある者は実力者になれない。
どの世界でも、実力者になる者というのは、仕事に時間を注ぎ込んだ者なのだ。
音楽で成功した者は、恵まれていて暇もあったのだろうが、その暇な時間を、遊びや交友に使わず、全部、音楽に注いだのだ。
米津玄師さんなんて、今でも、パソコンに向かって仙人のごとく曲作りに没頭するらしいが、元々がそうだったのだろう。
彼は、性格的にも非常にシャイで友達も多くはなかったと思う。だから、交友に時間が取られなかったのだ。

では、魔法使い、超能力者、仙人、マスターになるにはどうすれば良いか。
真言を数多く唱えれば良いのである。
下らないことを全てやめ、暇を作り、「暇だから真言を唱える」のである。
真言はどれでも良いし、なるべく1つに決めた方が続けやすい。
「南無阿弥陀仏」の念仏だって構わない。
法然は毎日6万回(あるいは7万回)、念仏を唱えていたというから、ある程度、暇だったし、また、自主的に暇を作ったのだろう。
おそらく、彼は相当な超能力者だったと思う。
それで、当時は異例の80歳まで元気に生きたし、弟子の親鸞となると90歳、晩年、念仏に転向した一休も87歳まで生きた。
一説では、親鸞は、数多く念仏を唱えることを勧めなかったと言うが、自分に関しては、かなり唱えていたのだと思う。
数多く真言を唱え、マスターに近付けば、世界への支配力が高まり、怠け者であれば安楽に過ごせるし、エネルギーが高ければ大成功者になれるだろう。








  
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