ジッドゥ・クリシュナムルティは、「私は何も信じない」と言ったが、これはつまり、「何が正しいかなんて分からない」という意味だ。
彼は、ガンジーやマザー・テレサが立派な人間であることも信じなかった。
実際、現実的に、彼ら(ガンジーとマザー・テレサ)が本当は悪人だったと考えるこも出来るだろう。
日本でテレビを毎日見る普通の人々の大半は、アウンサンスーチー(ミャンマー人に姓はないので、これは名)は正義の味方だと思っているが、これは普通に考えても疑わしいかもしれない。まあ、実際はどうか分からないが。
まして、日本で周庭氏をヒロインとして扱わないと、ちょっと怖い・・・少なくとも、確実に嫌な目に遭うような気がする。
私は、ガンジーもマザー・テレサも、アウンサンスーチーも、周庭氏も、正義の人であることを疑ってはいないが、信じてもいない。
土台、親しくなった人間ですら、信じられるわけではない。
それなら、マスコミから善のイメ―ジを与えられた人間に関して、信じる方がおかしい。

インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、「あなたが信じることが出来るのは、自分が存在することだけだ」と言ったが、それも疑わしい(笑)。
私は本当に存在しているのか?
存在しているような気はするが、本当は存在していないのではないか?
深い眠りの中では、自分が存在しているという自覚はないが、その時でも自分は存在していると言えるのか?
実は、眠った時に自分は消えているのではないかとも思える。
そんなわけで、私は、聖者ニサルガダッタ・マハラジにすら勝ってしまった(笑)。

だが、「私は何も信じない」と言っているだけでは生きていけない。
「何も信じるな」と言う人間ほど信じられない者はいない(笑)。
そんなことを言う人間ほど、あなたを騙そうとしているものなのだ。
「俺を信じろ」と言う人間はまだマシだ。
なぜなら、そんな人間、ハナから信じないから(笑)。

では、我々は何を信じるべきだろうか?
それは・・・簡単なのだ。
何も考えていない時の感情だ。
逆に、最も信じられないのが、考えている時の感情だ。

「マドラックス、なぜ泣いているのだ?」
「わからない・・・」
~『MADLAX』第9話 「残香 -scent-」より~

泣く理由が分からないのに泣いているなら、それは本当に悲しいことなのだ。
だが、理由が分かっていて泣いているなら、その涙は偽物だ。
これは、あまりに純粋で明晰なことだ。

意識がある限りは感情はある。
だが、重要なのは、思考のない感情だ。
それが人類最高の英知である。
では、失神せずに思考を失えば良い(笑)。
そのためには、信仰する神の名をひたすら唱えると良い。
え?ない?
神は存在しないって?
そんなこと、誰が言ったか知らないが、信じるな(笑)。
だが、実を言うと、そんな人ほど良いかもしれない。
なぜなら、神を信じないなら、神の名に対して想念が浮かばないだろうから。
そして、神を信じている者も良い。
なぜなら、神は理解不能で、神の名を唱えるほど想念が消えていくからだ。
よって、心地良く唱えられる神の名をひたすら唱えると良い。
アマテラスオオミカミとか、アミターバ(阿弥陀如来)とか、アストライア(正義の女神)とか、イエス・キリストとか。
真言や祝詞でも良い。
想いがない時の感情に従えば、何でもうまくいくし、想いがない時の感情が快適なら、何もしなくてもうまくいくだろう。








  
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