ナチスに迫害された生活や、強制収容所での実話を綴った書物として最も有名なものが、『アンネの日記』と『夜と霧』だと思う。
『アンネの日記』は14歳の普通の少女が書いたものだが、文学的でありながらしっかりとした内容と共に、あの状況で、明るさや道徳心を含めた、かなりの平常心を保っていることに驚く。
『夜と霧』は、オーストリアの精神科医で心理学者であるヴィクトール・フランクルが回想して書いたもので、彼が、地獄と言うに相応しい絶望的な状況の中で生き抜きながら、人間の心を失わずにいてくれたことで、私も、少しは人間を信頼しても良いような気になるのである。

ところで、一頃、アンニという名の、アンネ・フランクと同じ位の歳の少女が、やはり、アンネと似た状況の中で書いた『アンニの日記』が話題になったことがあった。
『アンニの日記』の文学的な価値は『アンネの日記』に劣らないとも言われ、やがて、『アンネの日記』同様、世界的ベストセラーになると言われたが、今では、ただひっそりと保管されているだけであるようだ。
これは、別に驚くに値せず、実を言えば、さらに別の、似た状況の中で書かれた、価値の高い日記や手記は、案外に多いのである。
『アンネの日記』の価値を全く疑うものではないが、やはり、これが脚光を浴びたのは、タイミングだったのである。
『禅とオートバイ修理技術』というベストセラーエッセイを書いたロバート・パーシングが述べていたが、自分の本がヒットしたのは、全くのタイミングで、本来は出版すら難しかったし、お情けで出版してくれた出版社も全く期待していなかったという。
それでいえば、『ハリーポッター』シリーズだって、どこの出版社も見向きもせず、そのまま埋もれたはずが、作者のJ.K.ローリングがたまたま原稿を持ち込んだ出版社の編集者の8歳の娘が、たまたまその原稿を読み、「続きを読みたい」と言ったことが出版のきっかけだった。
パーシングは、『アンクル・トムの小屋』だって、全く世に出なかった可能性の方が高いと言い、ひょっとしたら、これがヒットしたのも偶然中の偶然、つまり、奇跡だったかもしれない。
米津玄師さんだって、もう10年早く生まれてしまっていたら、あるいは、初音ミクさんがいてくれなかったら、もしかしたら、あの素晴らしい音楽の才能を世に示すことが出来たかどうか分からない。

世の中に、天才は案外沢山いるが、そのほとんどは世に出ないまま終わるのだと思う。
いや、そうではなく、実は誰もが天才なのだが、才能を発揮し、それを世に示すチャンスは、情報社会になって増えてきたとはいえ、やはり稀なことなのかもしれない。
作家で投資家であるマックス・ギュンターが『運とつきあう』で書いていたように、正直な成功者は皆、「自分が成功したのはたまたま」と言うのである。

サイコパスなどの精神的欠陥人間が成功することもあるし、それはそれで、何らかの意味はあるのかもしれない。
だが、道徳心を持った人間が、結局はうまくいくし、そうでない人間が成功しても、そう遠くなく破綻し、普通の人より哀れな状況に落ちる。
これは、理屈で考えてもそうなると思うが、直観的に誰もが分かることである。
もちろん、見かけの道徳心のことではない。
最初に述べた、『夜と霧』の著者フランクルが、こんな印象深いエピソードを記している。
彼と共に、ナチス強制収容所で酷い虐待を受けながら、共に、奇跡的に生きて帰れた男と道を歩いていた時のことだ。
作物を栽培している畑があったので、フランクルがそれを迂回しようとすると、その男は、このまま進むと言う。
もちろん、そんなことをしたら、畑を荒らし、作物を傷付けてしまう。
そんなことは、子供でも分かる。
しかし、その男は、自分達は、大変な理不尽を味わったのだから、当然、そうする権利があるのだと主張する。
フランクルは、決して、この男に人格的な欠陥があるとは述べなかった。
精神科医・心理学者であるフランクルには、この男の気持ちが理解出来るのである。
踏みにじられてきた人間の中には、他者を虐げることで気持ちを晴らしたい衝動を感じる者がいる。
だが、そんな気持ちを支配出来る人間に幸運はやって来る。
幸運は、流行の引き寄せの本に書かれているようなテクニックで掴めるものではない。
自分の世界を創造するのは心であり、幸運は、それを受けるに相応しい心にもたらされることは確かだと思う。








  
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