『新約聖書』の『福音書』や、『バガヴァッド・ギーター』を読むと、素晴らしい爽快感のようなものを感じるのだが、その理由は、主役たるイエスやクリシュナの、並ぶもののない卓越性、無敵性、絶対的強さによる、圧倒的な自信のためだ。
人間は、そういった存在が好きだし、必要でもある。

そして、我々自身、可能な限り、イエスやクリシュナの強さを持たなければならない。
これは、不遜なことではなく、彼らも明言した通り、彼らが我々の内に、あるいは、共にいるというのは、とても科学的な意味であり、それは実は、我々が彼らと一体に、そして、同じになれるということであると思う。
実際、人間は、そのようでなければならないと思う。

子供が、アニメで、卓越して優れた、格好良いヒーローやヒロインを見た時、自分が、そのヒーローやヒロインになりきってしまうのは、とても健康的で正常な心構えである。
エマーソンもエッセイ『歴史』の中で、英雄の物語を読む時は、自分の物語を読んでいるのだと認識しなければならないと述べている。
今は、アニメのヒーローやヒロインが、強くて優秀というよりは、親しみのある、あまり強くないばかりか、ヘタレ(臆病で情けない)で駄目なキャラクターであることが多くなったが、それは、今のアニメ(および、その原作のライトノベルや漫画)の多くが、子供向けでなく、残念な大人を対象にしているからだろう。
しかし、例えば、『魔法科高校の劣等生』の司波達也のような惚れ惚れする強い優秀なヒーローを見ると、やはり心躍るものがあると思う。

そして、何度も言うが、優秀になる・・・ある意味、プロになるのは難しいことではなく、単に時間をかければ良いのである。
具体的には、1万時間の時間を費やせば、そのことで卓越した強者になれる。
これも何度か取り上げたが、チームラボの猪子寿之社長が、夏野剛氏(現ドワンゴ社長)との対談で、「人間に差はない。天才はいない。アウトプットは、単にかけた時間だけで決まる」と言ったのは、特殊な例外を除いて、ほぼ真実であると思う。
英語でも、自動車整備でも、1万時間をかければ、誰にも負けない能力が身に付き、自信を得ることが出来る。
きっと、司波達也も、魔法技術に1万時間以上かけたのだろう。
しかし、これは、「超優秀な司波達也は、魔法技術に1万時間以上かけただけ」とも言えるのである。

私は、リレーショナル・データベースというものに1万時間以上をかけたので、いかなるものごともデータの関連性として捉えることが出来る。
あらゆる情報を適切に結び付けて、新しく有意義な情報に変えることが出来る。
それが出来れば、システム開発など楽々である。
今なら、高度なリレーショナルデータベースおよび、それを扱うツールでは、マイクロソフトAccessが僅か2万円以下で変えるし、Accessと組み合わせることで、そこそこの規模のことが出来るマイクロソフトSQL Server Expressは実に無料だ。無論、上位のSQL Serverを使えば、ビッグデータすら扱えるが、規模の差だけで、両者はほとんど同じものだ。
ちょっと専門的になったが、無償のSQL Serverがある限り、私は、Accessより他のリレーショナル・データベースにあまり興味がない。
それに、Accessなら、自分1人で達人になれる。

英語だって、1万時間かければ武器になる。
超有名な評論家だった竹村健一氏は「僕は英語を武器にして世に出たが、僕の英語なんて素人に毛が生えた程度ですよ」と言われていた。
しかし、やはり、1万時間かけた英語だったが、別に彼は、外大や英語学校に通ったわけではない。何も特別なスキルはなかったが、それでも、積極的に外国人と交流しただけである。

日本を代表する思想家の吉本隆明氏は、「物書きになりたいなら、毎日10年書け。書けなくても書こうとしろ。10年やれば必ずものになる」と著書に書かれていたが、1日3時間弱書けば10年で1万時間だから、やはり、1万時間かけろということだ。
逆に言えば、プロの物書きになるには、それくらいは書く(あるいは、書こうとする)ことが必要なのだろう。
ギターやドラムやピアノはどうかというと、必ずしもバンドで食べられるようになるわけではないが、1万時間やれば、力と自信を得、なんらかの道が開けると思う。

イエスやクリシュナも、とんでもなく長い時間を費やしたので、人類を超えたのだと思う。
その力と自信に、我々はシビれるのである。
とりあえず私は、司波達也にシビれているが・・・












  
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