最近、合氣道家の藤平光一氏の古い著書『氣の威力』のことを思い出すが、私が読んだのは、かなり昔に一度だけである。
書かれている事例も、王貞治氏がプロ野球の現役時代の話だったりと非常に古いが、内容自体は、現代でも全く古くない。むしろ、現代の方が人々の心が後退している面もあり、非常に役に立つだろう。
そして、この本の中で、私がよく憶えていることは、藤平氏が頭で考えて書いたことではなく、藤平氏の心に直観的な浮かんだようなシンプルなことだけで、それが真理に近いことなのだと思う。
藤平氏は、一貫して「氣を出す」と言い方をされておられたが、ここは重要な点だ。
氣は、他の精神指導者などは、宇宙エネルギーとか、宇宙の活力、自然の潜在力、プラーナ、マナ、あるいは、中村天風はブリルなどと呼んでいたが、それらは同じもので、ただ、言い方が違うだけである。
そして、多くのスピリチュアルな指導者達は、宇宙エネルギーや気を、自分の中に取り込むことを教えるが、藤平氏は、「出せば入って来る」と述べており、これが正しいやり方であると思う。
通俗的に言えば、「愛されたいと思えば愛されない」「愛すれば愛される」であるが、「いや、愛しているが愛されない」と言う者もいる。しかし、それは、本当には愛していないのだ。そもそも、「愛されたいから愛する」という、見返り目的、下心、スケベ心で愛されるはずがない。
これ(愛すれば愛される)の見事な例が、算数が嫌いな男子小学生の話だった。
藤平氏は、算数が大嫌いで、当然、算数が全く出来ない男子小学生に、「勉強しなくていいから、1日1度、算数の教科書を開いて、算数が好きだと言え」と指示し、その男の子も、そのくらいなら出来るので、それを行った。すると、しばらくすると、その男の子は算数が一番出来る子になった。
この男の子は、何の見返りも求めていなかったはずだ。
そして、言葉で「好き」と言うだけで十分な愛になるのであり、愛すれば氣も出る。つまり、愛(氣)を出しさえすれば、愛(氣)が入って来るのである。
同じ原理で言えば、「お金が好きだ」と言えば、お金が入ってきそうなものだし、実際、「お金が好きだ」と言えと勧める本は沢山ある。しかし、それでお金が入ったなんてことは滅多にない。
それは、「お金が好きだと言えば、お金が入って来る」という見返り目的、下心があるからだ。
だから、多くの優れた指導者は、お金を気前よく使うことを勧めている。使えば入って来るが、ため込むと入って来ないところは、まさに、氣と同じだ。
実際、お金も氣もエネルギーなのである。
寄付でも良く、本来の一割献金も、そのような意味があった。
しかし、あくまで気前良く、喜んで出してこそだ。けれども、普通の人は、お金を出すのを嫌がるのだ。
これが、多くの人が、あまり豊かになれない理由である。
いくら、アファーメーションで「私はお金を気前よく送り出す。すると、何倍にもなって戻ってくる」と言っても、実際に出す時には「もったいない」と思うものだ。
だから、いったん、お金のことは諦めて、とにかく、愛なり、氣なりを出すようにすれば良い。
で、どうやれば愛や氣が出るかというと、「出ていると思えば」良い。
ただ、「愛が出ている」と言えば、やはり、既成概念が邪魔をして、複雑な気分になるので、「氣が出ている」と思えば良いが、じゃあ、氣って何だということになる。
それは、藤平氏の本を読んで納得すれば良いが、例えば、「神秘な宇宙エネルギー」とでも思えば良いのではないかと思う。
単に「光」でも良い。とにかく、良いものが出ていると思うのである。
これも、頭の固い人には難しいかもしれず、そんな意味では、神秘的なことが好きな者は得だ。
しかし、どんな言い方をしたところで、見返り目的が強いと、本当に「出ていくだけ」で、氣や宇宙エネルギーが枯渇しかねない。
そこで、藤平氏は、「重みは下にある」といった、当たり前の真理を口に出すことを教えている。
真理を肯定、断言すると、氣、愛、宇宙エネルギーは出るのである。
では、最高の真理は何だろう?
それは「私は存在する」である。
「私は存在する」、あるいは、「私は在る」と、心の中で、静かに、丁寧に、ゆっくり唱えると、たちまち、宇宙エネルギーが出る。
そして、言葉にせず、ただ、「私は在る」と感じれば、宇宙全体の宇宙エネルギーと一体になる。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ