私が特に珍しい訳ではないはずだが、子供の時には頻繁に魔法のような力を使っていた。
私がよく憶えているものは、他愛のないものだ。
交通量の多い車道に目をつぶって飛び込んだり(決して真似しないように)、それほど猫がいそうにない町で猫を無限に呼び寄せたり、夜空の沢山の星の中から勘だけで土星や木星を特定したり、テレビで「以前見た、あの時代劇のあの回」を電話一本かけずに放送させたり・・・まあ、あまり実用的でない。
有名な聖者なら、高いところから落下してふんわりと着地したり、草の上を歩いたりと、なかなか優雅なものがあるらしい。
大人になったら、そんなことが出来ないかというと、そうではないのだが、気が付き難くなっているのだと思う。
しかし、その気になれば、いくつも思い出せるのである。

そして、今の時代は、隠れていたヤバいものが表に出て来て、しかも、それに巻き込まれてしまう危険がある。
そうなれば、誰もが、人間として賢くあると共に、魔法力を持っていた方が良い。
それで、誰もが、なるべく簡単に身に付く魔法というものを探している。
例えば、最近、大野靖志氏のお祓いが出来るデジタル音源について興味を持ち、試しにずっと使ってみたら、なるほど、悪霊を祓う力がある。
また、大野氏は、「とほかみえため」という祓詞を唱えれば良いと著書に書かれている。
だが、どこまで力があるかは分からない。
決して疑うわけではないが、信用もしないことが、真理を得る秘訣なのである。

疑いようのないことがあるとすれば、それは、自分が存在することだけである。
宇宙が存在するかどうかは分からなくても、自分は存在していると言える。
なぜなら、宇宙が存在しない理由は、いくらでも考えられるが、自分の存在だけは、どうにも否定出来ない。
それなら、究極・・・と言うよりは、実際的な、まともな魔法は、その近くにしかない。
本当の力の根源は2つないからだ。
存在するのは「私」だけなのだから、常に、「私、私、私、・・・」と思い続ければ、私の本質である「存在」に行きつく。
そうなると、心臓が胸の右(あるいは、ほとんど中央)にあるような感覚を感じる。
ところで、他の人が心を持っているかどうかを確認する方法はない。
おそらくは、他の人の心は、自分の心の一部だし、自分の心は実際には存在しない。
もし、実在する純粋な心を知りたければ、朝起きて、思考がやって来るまでの間のことを思い出せば良い。
そのことは覚えているので、思い出せる(そのためには、目覚ましを使わないで起きた方が良いとは言える)。
それを思い出した時には不可思議なことが出来るし、それをいつでも思い出せるなら、不可能はないだろう。








  
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