ものごとがなかなかうまくいかず、迷いがあり不安な時はどうすれば良いだろう?
そんな時は、2つのやり方がある。
1つは、万策を尽くすという手だ。やれることは全部やってみるわけだ。
これは、大抵うまくいかず、文字通り、万策尽きることになる。
なぜなら、今はツキがない時であり、ツキがない時にやることは大体うまくいかないからだ。
もう1つは、何もしないことだ。
聖書に書かれている通り、「私は山に向かって目を上げる。わが助けはどこから来るだろう?」と思い、悠然とすることだ。
だが、後で、「あれをしておけばうまくいったのに」と思える状況になるかもしれない。

「夜明け前が一番暗い」というが、いつまでも暗闇ではやっていられない。
「晴天とはほど遠い 終わらない暗闇でも 星を思い浮かべれば すぐ銀河の中さ」(『Ray』BUMP OF CHICKEN)という気にもなれないこともある。

つまり、こういうことだ。
膠着状態やじり貧状態が長く続くということは、根本的なこと・・・生き方が間違っているのだ。
そんな時は、「神様の奇跡が起こる」と唱えても、「とほかみえみため」と唱えてもうまくいかないかもしれない。
うまくいっていない時は、疑念が大きくなっているものだからだ。
そんな時は、馬鹿な戦略しか出て来ないので、ボランティアをしたり、霊山にでも行くと良い・・・かというと、まあ、お好きならどうぞだ。確かに多少、気が晴れるかもしれない。だが、やはり、根本的解決にはならない。

映画『サウンド・オブ・ミュージック』の中の歌は、ほとんど全部、うまくいかない時のアドバイスみたいなものだが、本当にうまくいかない人には、全部が虚しいものだ。
これも、根本的な解決にはならない。
だが、うまくいくような気がするので、映画がヒットしたのである。
幻想の希望は、エンターテインメントの基本だ。
実際、あの映画の実在した登場人物達だって、そんなにうまくいっていない。むしろ、諦めて満足したって感じだ。
「あの歌で救われました」ってのが嘘臭いことはよく分ると思う。
本当に救われた人なんていない。

最後は、「ただ1つの真理」に戻るしかない。
「とほかみえため」と唱えれば良いというのも、誰かが言ったことであり、本当かどうかは分からない。
クリシュナムルティが言ったように、「私は何も信じない」ということが大切だ。
だが、疑いようのない真実だってあるに違いない。そこだけは疑えない。
それは何か?
ルネ・デカルトという人は、それを見つけるために、全てを疑ったのだ。
それで見出した真理が、「疑っている私は確かに存在している」だった。
それが、「われ思う、ゆえにわれあり」となった。
ところが、これに、イギリスの作家コリン・ウィルソンがケチをつける。
「思おうが思うまいが、私は存在する」
その通りで、インドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、
「あなたが確信出来るただ1つのことは、自分が存在することだ」
と言った。
ところが、オーストリア出身の哲学者ルドルフ・シュタイナーは、
「われ思う、ゆえにわれなし。われ思わず、ゆえにわれあり」
と言ったが、これが一番正しい。
よって、何も考えてはならない。
無念無想、無我、忘我、没我ってやつだ。
考えている限り、迷い、悩み、不安があるし、悪い方向に行く。

「神様の奇跡が起こる」と唱えても、「とほかみえため」と唱えても、「これで何とかしてやる」というスケベ心があるうちは駄目で、1日中唱えて、もう何も考えなくなった時にうまくいく。
つまり、円滑現象が起こる。
神聖な書を読んで運命が変わった人だって、その本そのものが良いというより、熱心に読むことで没我になったのだ。もちろん、無になるまで読ませる素晴らしい内容でもあったのだろうが、読むだけでは駄目なのだ。

ところで、面白いもので、無理にシャキッとしたら、案外に何も考えないものだ。
なぜなら、死を覚悟した時というのが一番シャキッとし、無になるからだ。
ここらは、五島勉の『ノストラダムスの超法則死活の書』の、美しい姫のための決闘で、死ぬはずだったのに勝った騎士の話が一番良い。
ノストラダムスに「お前は負けて死ぬ」と言われ、それを受け入れ、白い馬に死に装束の白い鎧で、死ぬつもりで戦いに挑んだ若い騎士は勝ったのだ。
長くなった。
重要なことだが難しいかもしれないので、また手を変え品を変えて考えよう。








  
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