今は、情報があふれているが、その多くが真理を装った悪い情報で、そのため、人々は真理を知ることが出来ず、騙され、愚か者にさせられる。
王家には、公開されない秘密の情報があるが、それが間違っているか、あまり高級な情報でない場合もある。
しかし、極めて長く続く王家であれば、最高の情報が伝わっていると考えて間違いない。
だが、「これが王家に伝わる秘法である」と言う者がいても、王家そのものが「その通り」と言わない限り、偽物である可能性が高く、また、王家が「その通り」と言っても、それは(肝心なところが隠された)限定された内容である場合が多い。

この世に、差別的な秘法は存在しない。
例えば、王家に特別な呪文が伝えられていて、それを唱えると人間は大きな力を持てるというものがあり、「それを私が皆さんに公開する」と言っている者がいたら、ちょっとは疑ってみよう(笑)。
知っている人だけが良い思いをするなどという、差別的な秘法があるはずがない。
宇宙は、あるいは、自然は、あるいは、神様は、そんなに不公平ではない。

ただし、貴重な知恵は、どんな民族でも伝えられており、それは世界中でかなり共通するものだ。
そして、それは、神話、昔話、おとぎ話といったものの中に込められている。
要は、民間の間に伝えられている「お話」を読みなさいということだ。
けれども、デカルトも言った通り、読み過ぎてもいけない。
過去の賢人と対話するのは良いことだが、対話し過ぎると時代遅れになる。
とはいえ、狂信的にならない限り、熱心に読むと良いだろう。
偉大な人間、賢い人間というのは、子供の時に、古いお話を聞かされて育ったものだが、不幸にもそうでなければ、自主的に読めば良いことだ。
ただし、権威的に伝えられたものについては注意する必要もある。権威者に都合の良いように改ざんされている恐れがある。
岡田虎二郎は、「聖書よりイソップに良いことが書かれている」と言ったが、そうかもしれない。
というより、イソップは貴重なお話だ。

そして、賢い人は、自然をよく観察している。
風や水の流れに注意し、月を不思議に思い、星が語りかけてくるように感じる。
月や星ほど、自然の法則を厳密に見せてくれるものはない。
小さな世界は、様々な要因の影響を受け、状況が変わるが、大きな世界が何かの影響を受け、状況が変わることは、まず起こらない。
つまり、月や星の動きに影響を与えるものはなく、月や星は法則通りに動く。
天動説が間違っていると言っても、ある程度は正しい法則を示し、賢くなるには十分だし、現代にだって、天動説を信じている賢い人もいる。
それどころか、地動説だって鵜呑みにせず、疑う姿勢も必要である。
ここらは、賢く子供を導かないといけない。
だが、賢く導いてくれる大人がいなかった場合には(これが圧倒的かもしれない)、「公開された究極の秘法」が役に立つ。
それは「何も信じない」ことだ。
ただし、疑ってもいけない。
信じてはいないが、疑ってもいない。
疑ってはいないが、信じてもいない。
昔話には、こんな賢い人の知恵が必ず込められているものだ。

ケルト地方の田舎の老人に、こんなことを聞いた人がいた。
「あまり食べないと妖精に会えるというのは本当か?」
「ああ、間違いない。妖精は、たらくふ食っているやつのころになんかやって来ない」
妖精は、気に入った人の手助けをしてくれることが多い。
今でも、難しい問題が自然に解決すると「妖精って本当にいるんだな」と思うことがある。
そのためには、食を慎まないといけないが、心が広い人であれば、案外に大食漢でも助けてもらえるようだ。
人間、心が広いことが一番である。








  
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