時間を巻き戻して、過去をやり直すというのは、昔なら、『時をかける少女』のように、ラブ&ロマンスの要素はあってもSFと決まっていた。
だが、今は、『サクラダリセット』や『Re:ゼロから始める異世界生活』のような、ファンタジーではあっても、SFとは言えないようなものでも、過去に戻るという現象を扱うものがある。

あなたは、可能なら、過去をやり直したいだろうか?
宮本武蔵は、「私は過去にしたことを後悔しない」という決意表明をしたが、そりゃ、後悔したって始まらないのだから、それが正しい心構えだ。
だが、そうはいっても、人間は、後悔するものかもしれない。

ところが、本当は、後悔する気にもさせない事実があることに、普通の人は気付かない。
どういうことかというと、こういうことだ。
「あの時、ああじゃなく、こうすれば良かった」なんて後悔は、本当はないのだ。
つまり、「判断」を後悔することは、実際はないのである。
そうじゃなくて、後悔するのは、「思想」とでもいうべきものなのだ。
要するに、後悔というのは実は、
「あの時、もっと責任感があれば」
「若い頃、もっと人の立場に立って考えることが出来たら」
「もっと酒を控えていれば」
「もっと食を謹んでいたら」
といった、習慣的、継続的なことで、そんな後悔すべきことを長期に渡ってしてしまった原因は、当時のものの考え方・・・即ち、思想であるのだ。
たとえ、一瞬の判断を間違えて後悔しているように感じても、その判断は、当時の思想がそうさせたのである。
そして、思想はちょっとやそっとで変えられるものではない。

手塚治虫さんの『ザ・クレーター』という短編集の中に、こんなお話がある。
ある若い男が、将来の選択肢に悩んでいた。
2つの道があり、どちらの道でも自信があり、何より、どちらもやりたかった。
そこで、コインを投げて決めた。
そして、コインで決めた道で、彼は勝ち進み、幸福を感じた。
だが、ある時、大きな失敗で挫折し、あの時の選択を後悔した。
すると、ここがSFなのだが、過去をもう一度やり直すチャンスを得た。
そこで彼は過去に戻り、もう一方の道に選び直し、今度こそ満足出来そうだったが、何と、今度はもっとひどい失敗をし、選択の変更を後悔した。
すると、彼の身体は2つに引き裂かれ、2つの世界で半身ずつの死体となった。
これを読んだ読者は、「やっぱり、後悔なんてするものじゃないな」と思うかもしれないが、肝心なことに気付かないのだ。
つまり、この若い男の間違いは、あの時の選択ではないのだ。
そうではなく、彼の悪いところは、いずれの道を選んだとしても、結局は失敗を引き寄せる精神性・・・つまり、思想だ。
正しい思想を持っていれば、どちらを選んでもハッピーエンドになったし、仮に、見かけ上は失敗しても、本人は満足出来たのだ。

つまりね、今、ものの考え方を正しくしないと、将来、後悔することになる。
特に、死の間際にね。
その後悔は、悲惨で、本当に辛いことになりかねない。
下手をしたら、浮遊霊になって成仏出来ないほどにね。
それなら、今すぐ、考え方、つまり、思想を変えないといけない。
まずは、学校やマスコミに押し付けられた奴隷思考を捨てるのである。
ただし、それは過激な方法で出来ることではない。
過激な方法をしたがる者というのは、時間がかかることを一瞬でやりたがる愚か者だ。
例えば、すらりと痩せるには何か月もかかるのに、「わずか3日で」などという広告に騙されて、お金と健康を失うのだ。
その「怠惰なままで、欲望に満ちたままで、結果を出したい」という思想を捨てない限り、美しくなれないのである。

では、どうすれば思想を変えられるかって?
そんなことを聞きたがる思想が問題なのだが、今は、学校やマスコミの洗脳が酷過ぎて、やはり、ヒントを与えるべきだろう。
それは、「どうしたいかを考え」「それが分かれば、それをすると決意する」ことだ。
その決意は、命を賭けるような重いものであってはならないが、真面目でなくてはならない。
逆に言えば、真面目でなくてはならないが、悲壮なものであってはならず、軽く決意しなければならない。
欲しいものは何かを明確にし、それを得ることを、真面目に、しかし、軽く決意することである。








  
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