ラジオニクスというのは、身体波動を調整することで治療を行う装置であるが、科学的には、そのようなものは存在しない。
しかし、逆にいえば、いかなるものでもラジオニクスになり得る。
つまり、空っぽの小さな箱を「身体波動を調整して治療を行う装置だ」と言って、患者の身体に当てれば、プラシーボ効果によって病気が治ってしまうということもあり得る。
プラシーボとは偽薬という意味で、「砂糖の塊でも、薬だと思って飲めば効く」という、思い込み効果を起こす物とか、その効果自体を指す。
しかし、思い込み効果を軽視すべきではない。
人間の心は世界を丸ごと生み出すほどの力を持つとも考えられ、思い込むことさえ出来ればほとんど不可能はない。
多くの宗教的奇跡は、思い込みの魔術・・・信念の魔術によって起こされたものと考えて良い。
1954年に出版され、今も世界中で読み続けられている、クラウド・ブリストルの『信念の魔術』に書かれている通り、人間の信念は現実的な力であり、しかも、いかなる力よりも大きいかもしれない。
ただし、従来は、信念の力の使い方が古く、意図的に使おうとしても、失敗することが多かった。
人間は、宗教的な、あるいは、ラジオニクス的な雰囲気とか気分といったものが大切なのである。

デタラメであっても、素晴らしい雰囲気のある機器を「超高度な」「宇宙人からもらった」身体の波動を調整する装置だと言い、患者にそれを信じさせれば、病気が治る可能性がある。
あるいは、ただのボロ布を、「キリストの服の一部」だと信じさせれば、信仰深い人であれば、病気治癒をはじめ、あらゆることで偉大な効果を起こすことがあるだろう。
それなら、「迷信だ」「妄想だ」「似非(えせ)科学だ」などと言わず、有効に活用すれば良い。

アリストテレスやソクラテスといった古代の賢者の霊と交信するという人がいて、たとえそれが、その者の思い込みであるとしても、それにより、賢者に相応しい知恵が出れば良いのである。
そのソクラテスは、いかなる人間であっても、優れた能力は、人間の内部の神秘的な存在(霊)から来ると考えていたが、おそらく、その通りなのだろう。
その力をうまく発揮出来れば良いのである。
また、信念の効果は、ただの思い込みだけでなく、脳科学や量子力学から、いくらか、あるいは、ほとんど説明出来ると考える者もいる。
もっと自信を持って、ラジオニクスのようなものを活用すれば良い。
それこそ、妄想や妄信に陥らないよう気を付ければ。

具体的にどうやるか、その方法は無限であり、自分が好きなようにやれば良い。
例えば、頭の中で、何か神秘な物体を想像し、それは現実であり、それは無限の英知を持つと考える。
その物体の姿は、好みに合えば、映画の『2001年宇宙の旅』で、人類の祖先の類人猿達の前に現れた巨大なモニュメントのように想像しても良いだろう。
手塚治虫さんの『火の鳥・未来編』や、横山光輝さんの『バビル二世』のような古い漫画にも、人間を超える知能を持つコンピューターが雰囲気たっぷりに描かれ、当時の子供達や若い人達の想像力を刺激したが、そんな子供達の中には、宇宙人的な発想を起こした人だっていたと思うのである。
人間は想像力豊かであり、情緒的な存在である。
ある意味、子供を「その気」にさせるのが教育である、その悪い方向付けを「洗脳」と言うのだが、良い方向であれば、モチベーションとかエンスージアズムなどと言われる。
まあ、何を持って、良い動機付けか悪い動機付けかと区別するのは難しいところであるが、その子と世界を幸福な方向に導くことを良い動機付けとでも言うしかない。
そして、自分で自分を動機付けることも出来る。
外国語でも、コンピュータープログラムでも、うまくマスター出来る者とそうでない者がいるが、それは、頭の良し悪しや方法の良い悪いよりも、熱意の問題であることが多く、熱意は動機付けや思い込みといった、いわば曖昧な要因から起こるのである。
いわゆる「その気になる」かどうかである。
それなら、変な副作用さえ起こさないなら、あらゆる手を使って、まずは自分をその気にさせれば良い。
「この絵を見れば痩せるのだ」と説得力を持って「言いくるめることが出来れば」どんな絵であろうが、見れば確実に痩せる。
同じように、頭の中で、宇宙人が作った超高度なコンピューターと、あらゆる現象を生成出来る波動発生装置(光る球体などが良いと思う)を想像し、情緒的に、それが実際の力を持つと感じれば、それが驚くべき効果を発揮しても、少しも驚くに値しない。
それに、こんなことは楽しいと思う。
ただし、現代の教育やマスコミによって、想像力を破壊されてしまっている者も多く、そのような者は、まず、固定観念を捨て、頭を柔らかくする必要がある。
固定観念を捨てることが、秘められた能力を発揮する鍵であることはよく指摘されている。
自分の、そして、世界の幸福のために、学校やマスコミに叩き込まれた、余計な固定観念、偏見、制限を取り払うことを虎視眈々(虎が獲物を狙うような感じ)と行うと良いだろう。








  
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