勇気と自信、どちらが大切かというと、それは自信だと思う。
自信がなければ、本当の勇気なんて出ないからだ。

まあ、なけなしの勇気を振り絞って、震える足で一歩を踏み出すことから始めないと自信が得られないと言いたい人は多いと思う。
確かに、経験のない、世間知らずの自信など、偽物だと言うのも頷ける。
しかし、エマーソンは、経済的な苦労など知らない少年の方が、世間で苦労している大人より、ずっと自信があると言う。
とはいえ、おぼっちゃんが全て自信があると言っている訳ではなかろう。
それに、学校というのは、子供達に自分が無力だと思い知らせ、自信を失わせる場所だと言って間違いないので、今は、ほとんどの少年は自信がない。
でも、少年や少女は自信を持っているべきなのだ。

成績が良いから自信があるように見え、確かに、優等生が傲慢だったりするが、傲慢であること自体が自信がない証拠なのだ。
「〇〇だから自信がある」なんてのは偽物だ。
本当に自信がある者に、その自信の根拠なんてない。
根拠なき自信が本物だ。
妄想の自信なんてのも確かにあるが、妄想の自信を持っている者には、その妄想が根拠なのである。
つまり、現実だろうが妄想だろうが、それを根拠とする・・・言い換えれば、何かに依存している自信は本物の自信ではない。

ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の『I have confidence(自信を持って)』という歌の中に、こんな歌詞がある。

Strength doesn't lie in numbers
Strength doesn't lie in wealth
Strength lies in nights of peaceful slumbers
When you wake up Wake Up! It's healthy!

最初の2行を訳せば、単純に、

強さは数ではない
強さは富ではない

で良いだろう。
3行目が難しいのだが、以前、NHKでは、3,4行をまとめて、「ぐっすり眠って元気いっぱい」としていた。
まあ、無難ではある。
だが、3行目は実に大切だ。
直訳すれば、「強さは平和な眠りの夜」であり、あまり意味が通らない。
しかし、このままが真理だ。
なぜなら、どれほど金や名誉や権力がある者でも、人間の最大の願いはぐっすり眠ることなのだ。
何もなくても、夜、ぐっすり眠ることが出来れば、それで幸福なのである。

安らかな眠りの中には、世界はない。
世界は心が作り出す幻想なのだが、安らかな眠りの中には心はないからだ。
つまり、幻想を作り出す心がない時が幸福であり、それが最強なのだ。
ただ、魂と密着した純粋な心はあっても良い。
魂と密着した純粋な心から離れた心の部分を自我と言う。
自我が消えている、あるいは、脇に退いた状態が無敵であり、その時、揺るぎない本物の静かな自信に満ちている。

自我を消すためには、荘子は「是非好悪を捨て、いっさいをなりゆきにまかせよ」と言い、それは正しいが難しい。
ラマナ・マハルシは、常に、自分に「私」と呼びかけよと言ったし、中村天風は、常に肛門を引き締めよと教えたが、これらも出来やしない。
そこで、たとえば、祝詞を唱えるのが効果が高いようだ。日本人の特権である。
いや、実際は、方法は沢山ある。
念仏とか、真言とか、数息観とか。
その中で、短い「トホカミエミタメ」という祝詞を、静かに、ゆっくり、丁寧に唱えることは、日本人だけに与えられた強力な秘法である。








  
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