私にとって、「妙に面白い『古事記』」が2つある。
1つは、石ノ森章太郎さんの漫画『古事記』だ。
石ノ森さんは、これは楽しく描けたと言うが、1つだけ苦労したと言う。
それは、『古事記』自体が「おおいなる漫画」だからだと言う。
石ノ森さんは、「『古事記』が漫画」の意味をクドクドとは書いていなかった。
しかし、それは、単純に「面白いもの」であり、同時に、「想像の宇宙」である・・・という意味ではないかと想像される。
天才、石ノ森さんが面白いと思うものを面白く描いたのだから、面白くないはずがない。

もう1つが、哲学者、宗教学者の鎌田東二さんの『超訳 古事記』だ。
自由詩のような文体で「ゆったり」書かれていて、読み易く、分かり易い。
そして、鎌田氏の『古事記』への思い入れが違う。
その「思い入れ」の原因について、この本のあとがきにも書かれているが、私は、それについて、別の本でもっと詳しく読んでいた。
それは、世界的美術家の横尾忠則さんと占い師の中森じゅあんさんの共作『天使の愛』の、ちょっと長い序文でだ。
鎌田さんは、子供の時、鬼がはっきり見えたと言う。
また、宇宙の絶対的な大きさを思い知らされる夢を何度も見て、精神が不安定になっていたようだ。
私は、この2つのことがとてもよく分る。
鬼ではないが、私も子供の時、物の怪(モノノケ)はよく見たし、「宇宙の絶対的な大きさ」は、やはり夢の中か、熱があって理屈でものを考えられない時には、今でも感じる。
鎌田さんは、小学5年生の時、『古事記』と『ギリシャ神話』を読むことで落ち着くことが出来たと言う。
鬼と宇宙の世界が、これらの神話の中に「いとも自然に存在し、展開されるのを知って、驚き、狂喜し、深く納得した」のだと言う。
『超訳 古事記』は、その鎌田さんが自由に書いた、とても面白いものだった。

『ギリシャ神話』も、『古事記』同様、八百万の神々のお話である。
共に、あらゆる物や自然現象をつかさどる神がいるのだが、『ギリシャ神話』では、「運命」といったものにまで神がいる。
しかし、『古事記』には、姿を見せない不思議な神が存在する。
全体的には、この2つの神話はよく似ていて、神々が非常に人間的な面があることも似ている。

子供の時の鎌田さんの心を落ち着かせたように、これらの神話の世界観は、宇宙のなりたちを、抽象的にだが、子供が宇宙について、なんらかの観念を持ち、心を安定させるのに適したものなのかもしれない。
特に『古事記』は日本人の心の奥深くに棲みついているものであり、それは良い棲みつき方で、思い出せば、我々の心を解放し、太陽の光や雨のように穢れを祓ってくれる。
大人が読んでも心を静める力があると思う。
尚、『ギリシャ神話』については、私は、里中満智子さんの漫画作品が面白いと思う。
『オデュッセイア』のところまで、これほど分かり易く描ける里中さんはさすがと思う。
また、個人的には、『ギリシャ神話』といえば、ヘシオドスの『神統記』が良いと思う。








  
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