偉大になった人物には、必ず、ターニング ポイント(転機)になった出来事がある。
そして、そんな出来事は我々にも起きるし、起こす方法も分かってきたと思える。

発明家、工学博士の政木和三氏は、小学5年生の頃、吃音(きつおん。どもり)を治したいという思いから、腹式呼吸の訓練をしたらしい。
呼吸数をどんどん落とし、1分で1回の呼吸が出来るようになった時、何かが起こった。
母親が毎日上げているお経の意味が勝手に解ってしまい、母親に説明して驚かれたようだ。
また、練習したこともないピアノが不意に弾けるようになってしまった。
ピアノの腕は一生涯続き、プロのジャズピアニストに絶賛される腕前で、自身が作曲した曲のピアノ演奏のCDも出した。
講演の際も、ピアノが用意されていれば、弾いて聞かせたこともよくあった。
その他にも、政木氏には神的な知恵や能力が発現したようである。

発明家、理学博士の橋本健氏は、高校生の時、深刻な病気になって、医者に余命僅かと宣告され、絶望に陥っていた。
その時、谷口雅春氏の著書『生命の実相』を一心不乱に読んだそうだ。
すると、病気が治って健康になってしまい、あらゆる幸運が舞い込む「円滑現象」が起こるようになった。

電波工学の世界的権威で工学博士の関英男氏は、大学を出て、KDDIの前身である国際電気通信に勤務していた時、毎日、研究中の電波受信機から聴こえる音を聴いていた。
ある時、いつもと違う音が聴こえてきて、それを聴いているうちに、宇宙と一体になった感じがして、それ以降、不思議な出来事や出会いが度々起こるようになったという。

特に印象的なものを取り上げたが、調べれば、およそ偉大な人間で、このような体験を持たない者はいないことが分かる。
こういった体験は、心理学者のアブラハム・マズローが「至高体験」と名付けたものと同じと思えるが、マズローは、
「偉大な人間と平凡な人間の違いはただ1つ。至高体験があるかないかだ」
と言ったのだ。
ただし、マズローと交流があったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験は誰でも経験しているものだと言い、後にマズローも、それを認めたらしい。
そして、ウィルソンは、至高体験を意識しているか、自在に起こせるかということが重要であることに気付き、それが彼のライフワークにもなった。
マズローは、自分が教えていた大学の学生達に、「自分が幸運だと思ったこと」を発表させたら、そこにいた学生たちが、次々に至高体験を起こすことに気付いた。
ウィルソンは、至高体験について、「単に、自分が幸運だと思うこと」と言う。

「20世紀最大の詩人」と言われる、ウィリアム・バトラー・イェイツは、おそらく至高体験と同じものを「エクスタシー」と表現し、芸術の目的はエクスタシーであると述べている。
また、それ(至高体験やエクスタシーと同じもの)を、ロマン・ロランは「大洋感情」、夏目漱石は「天賓」と呼んだが、およそ文豪で、至高体験について書いたことのない者はいないと言われる。
哲学者ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、こう表現している。
「神の魂が私の魂に流れ込み、私の魂が神の魂に流れ込んだ経験は忘れることが出来ない」
関英男博士も、宇宙とつながった時のことを、そういった雰囲気で表現していたと思う。

そして、コリン・ウィルソンが言ったように、至高体験は誰でも起こせるのである。








  
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