歌謡曲を聴くと、それが流行った時代の世相が分かるものである。
あるいは、大衆小説や漫画などもそうである。
ところが、戦争中や高度経済成長期に入ってからは、国家の方針を反映するものばかりになる。
いや、大衆文化は経済的事情を反映していると言う人もいるだろうが、国家が意図しない形での経済発展は実はない。
民間で生まれたものだって、国家の支援がなく大きくなることはなく、コマーシャリズム(商業主義、営利主義)の中身は、やはり国家の方針なのである。

サブ・カルチャー(下位文化)や、その一部であるカウンター・カルチャー(主流文化に反抗する文化)は、いくら大きくなったところで、国家の支持を受ける上位文化ほどの力はない。
だが、そう単純に言えるのは、国家に力がある間である。
そして、日本は、衰退してきたと言われているし、実際、そうなのだろう。
それはどういうことかというと、国家に文化をリードする力がなくなってきたということだ。
経済的な勢いのある国というのは、まさに、かつての日本がそうだったように、「国家色」というものが凄く強いのである。

日本が衰退する中で、近年の日本の文化は、メイン・カルチャー(主流文化)が弱くなり、その分、サブ・カルチャー(下位文化)が広がりを見せてきた。
メインが弱いのだから、カウンター・カルチャーのように、いちいち国家に反逆しようという勢力も少なくなってきた。
ヒッピーや反戦勢力など、レジスタンス的なものが大きいというのは、まだ国家に力があるのである。
で、日本のサブ・カルチャーであるが、精神的に苦しいものが増えてきた・・・これが今の日本の状況だ。

初音ミクさんの曲は、音楽を創造するという特殊な技能を持った人とはいえ、一般の人が作っているのであり、時代の流れをよく表している。
希望にあふれた曲もあるのだが、どこか、心に傷があったり、方向性に迷ったり、ことによっては、冷めてしまったことを感じさせるものが多くなってきている。
それでも、音楽を作る人、あるいは、初音ミクさんのイラストを描く人は、まだ創造的な人だということを考えると、日本人の心は病んできているように思われる。
まあ、今更、言うまでもないかもしれないが。

日本人は、他のアジア文化も西洋文化も吸収し、独自のものにする力がある。
しかし、それも度が過ぎ、日本人らしさがなくなり、それが、日本人本来の力、日本人独自のDNAのスイッチを切ってしまった。
そんな事情を、かなり昔から察し、警告を発していた人も多かったが、2009年に亡くなられた、日本屈指の形成外科医でもあった神道家の葉室頼昭氏が、『古事記』を読みなさい、米や魚を食べなさいと、よく著書に書かれていた。
『古事記』も聖書レベルには改ざんがされているという話もあるが、貴重な心はちゃんと残っている。
特に、『古事記』に記された神様の名前はとても重要である。
そして、日本の魂は祝詞として残っていて、これは従来は、専門家が国家守護の役割を担って伝えてきたが、今、専門家の影響は一般国民にほとんど影響を与えていない。
そこで、一般人自ら、『古事記』を読んだり、祝詞を唱えたり、祝詞をオーディオ機器で聴く必要があるし、それによって、日本人のDNAをオンにし、海外のDS(闇の権力者)が封印したがった日本人の恐るべき力を取り戻せてしまうのである。
特に、日本人のDNAの大きな力を引き継いだ者ほど、ひきこもりや社会的落伍者になり易い。
そんな人達が、日本人のDNAを蘇らせること(古事記や祝詞)を行うと、大逆転も起こると思う。








  
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