力や幸運を得たければ、とにかく何でもいいから愛すれば良い。
武道でも、敵を愛すれば、敵は何も出来ない。
しかし、ご存じとは思うが、「好き」は必ずしも愛ではない。
とはいえ、別に難しいことではなく、純粋な「好き」が愛なのであるが、不純な「好き」を愛と勘違いすることが多い。
犬や猫が可愛いからといって飼い始めても、世話をするのが面倒で捨ててしまう者が多い。
その人は、犬や猫に楽しませてくれることを期待していただけで、それはエゴであり、純粋な「好き」ではなかったのだ。
いや、犬や猫だけでなく、自分の子供を捨てたり、虐待する親も増えている。
そして、実を言うと、大半の母親は、本当は子供を愛していないという恐ろしい説もある(真偽は恐くて言えないが)。

物理学者で合気道家の保江邦夫さんの本で、保江さんが、空手の猛者と試合をした時の話があった。
保江さんは達人とはいえ、60歳もとおに過ぎ、相手のゴツい空手家の方が体力、筋力、それに、おそらく体格もはるかに優っていた。
合気道は、愛気道とも言うくらい、敵を愛することが大切であるし、愛さないと勝てない。
保江さんは「女子大生ならいくらでも愛せるが、あんなのを愛するのは難しい、でも、愛さないとボコボコにされてしまう」と書いていたが、本人も分かって書いているのだろうが、女子大生だって、愛することは本当は難しい。若い女性の身体なら、どんなオッサンも大抵好きだろうが(笑)、当然、それは愛ではない。
まあ、ともかく、むさ苦しい相手の空手家を愛さないとヤバいことになる。
それで、どこまで本当か分からないが、保江さんは、「形から入ろう」ということで、なよっとして向かっていったそうだ。
相手を愛したからか、相手が気持ち悪くなって戦意喪失したのかは分からないが(笑)、それで相手は抵抗不能になって、保江さんが勝ったのである。

純粋に好き・・・何の見返りがなくても好きなことが愛である。
子供が構ってくれないと言って悲しむ父親(本当に泣く人もいる)も、「ここまでしてやっているのに俺は報われない」と、見返り(子供が自分を楽しませること)を求めているのだから、これもちっとも愛ではない。
アイドルを愛してグッズ購入に惜しみなく金を注ぎ込むのが愛であるかというと、それで見返りを得られるような妄想を与えるプロダクションの罠にかかっただけである。
アイドルが、「私を愛しているなら、毎月10万円振り込んで下さい。見返りは当然、何もありません」と言って、それに従うなら愛の可能性はあるが・・・

『キャシャーンSins』というアニメで、ルナという少女が幼い時から、彼女に仕えているロボットのドゥーンは、身体の腐敗が進行し、ルナが不思議な力でそれを癒し治すことが出来るのだが、ドゥーンは癒されることを拒否する。
ドゥーンは、「俺は(ルナを)見ているだけでいい」と言い、ルナを害する敵と戦い続ける。
これなら一応は愛と言えるが、どこか、純粋な好きとは言えないものも感じる。
つまり、ドゥーンは、どこかで、ルナに精神的見返りを期待していたのだ。
あるいは、ドゥーンは、「自分の想いは、見返りを求めない純粋な愛である」ことを願い、見返りを拒否したのである。
それもまた執着だ。

つまり、愛とは非常に難しい(笑)。
しかし、アイルランドの「20世紀最大の詩人」、ウィリアム・バトラー・イェイツが、良いヒントをくれている。
「愛は神の領域であり、人は愛することは出来ない。だが、憎しみは人の領域であり、人は憎むことをやめることは出来る」
そして、憎むことをやめれば、愛が出て来てしまうことを、イェイツは理屈ではなく、証拠を上げて見せる。
つまり、憎むのをやめると、「視界がぱーっと開け、不思議な解放感に満ち、壁の絵が語りかけてくる」体験・・・これは、大洋感情とか至高体験と言われ、今で言う、フローやゾーンも似たようなものと思う。
だが、問題は、憎むことをやめることも難しいことだ。
けれども、日本古来の知恵はそれを解決する。
憎しみは、穢れである。
日本には、「祓う」という秘儀があり、憎しみも含めた罪、穢れを祓えるのである。
どうやってかというと、「言霊」によってである。
それこそ、「愛」という言葉が愛である。
この言葉を、「静かに、ゆっくり、丁寧に」繰り返せば(口で言っても心で思っても良い)、言霊の力で愛になる。
だが、積もり積もった穢れを祓うには、祝詞の力を借りるのが一番だ。
「大祓祝詞」は、強力な祓いの祝詞なのだから、これを聴いたり、自分で唱えると良い。
「一二三祝詞」を、書いたものを見ながら唱えるのも良い。
しかし、「トホカミエミタメ」と唱えるのが一番簡単で効果的であるようだ。
理屈はともかく、試してみると分かると思う。








  
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