何も考えないことは難しい。
例えば、本物のテレパシスト(あるいはテレパス。テレパシー能力者のこと)が、あなたの思考を読もうとしていて、「読まれてたまるか」と何も考えないようにしようと、すればするほど、とめどなくいろいろなことを考えてしまうだろう。

頭の中のおしゃべりを止めることも難しい。
そして、思考は言葉で行われる。
いや、イメージで考えることも多いと思うかもしれない。
確かにイメージでも考えるが、イメージだけで考えることは出来ない。
例えば、さっき見た、体操競技やフィギュアスケートの演技を、言葉を介さず、イメージだけで回想することは出来るように思えるが、そんな時も、言語中枢が活動しないことはない。
言語中枢は、左脳だけでなく右脳も含めた、脳の広い範囲に分布し、あらゆる思考に関係している。

つまり、人間は、言葉を憶えてしまえば、常に、頭の中で言葉を発していると考えて間違いない。
自発的に考えていない時は、脳内で「つぶやき」として言葉が発せられ、その数は、我々の想像よりはるかに多く、1分間に数百以上であるという説がある。
そして、多くの文明社会では、その頭の中のつぶやきの大半がネガティブな言葉であると考えられている。
現在の文明社会では、全員が学校で「みっちり」教育され、マスコミの情報に晒され続けている。
その学校教育も、マスコミから押し付けられる情報の影響も、強力な洗脳になり、偶然か、あるいは、必然か(権力者の意図的なものか)はさておいても、実際のところ、学校やマスコミからの「しつけ」は、我々の頭の中の膨大なつぶやきを、ネガティブなものにしてしまっている。

そして、これは、一般的には認められていないだろうが、事実として、頭の中のつぶやきが、その人にとっての現実世界を創造する。
アファーメーションで、たかが1日数分「私は大金持ちだ」と唱えたとしても、ほとんどの人の頭の中の自動的なつぶやきは、「俺は貧乏だ」「私は大したお金は稼げない」「自分が大金を掴むことはあり得ない」というもので、その圧倒的優勢な頭の中のつぶやき通りに現実は創られるのである。
「私は無力だ」「僕は勇敢でない」「私は美人でない」と、頭の中で数多くつぶやいていれば、やはり、その通りになる。
そして、自分の頭の中のつぶやきは、自分にも他人にも(精神科医や心理学者でも)分からない。
いかにも、「私が一番美人よ」と思っているように見える女性でも、実は、頭の中のつぶやきは「あの人に比べれば随分劣るわ」であったりし、実際、せいぜいが「おばさんと比べれば美人」程度に留まっていたりする。
だが、いくら、頭の中の自動的なつぶやきに対抗し、「私は美人」と自分でつぶやいてみたところで、口でつぶやけば、せいぜい、1分に50回、心でつぶやけば、それよりは多くても、やはり、脳の自動的なつぶやきの回数に比べれば、たかが知れている。もちろん、やらないよりはマシだが、現実を大きく変えることは難しい。

そこで必要なことは、脳の働き方を根本的に変えることで、それに関しては、科学的には数十年、宗教的、魔術的なものなら、数百年以上、研究、実践が行われてきた。
その中で、エミール・クーエの自己暗示の言葉「私は毎日、あらゆる面でますます良くなっていく」も、頭の働き方を変えるのに効果的な方法だが、英語やフランス語の場合と比べ、日本語では、どうもノリが良くないと思う。
そもそも、英語やフランス語を母国語とする人が、英語版、フランス語版で唱えても、どれほど効果が出ているか分からない。
だが、日本には、祝詞(のりと)や、祓詞(はらえのことば)があり、それらは、古代の叡智により、脳の機能を整え、脳は正しい言葉を発し、思う通りの現実を作り出せるという説が、今、かなり信憑性を高めてきている。
簡単なものとしては『いろは歌』や『一二三祝詞』というものがあり、本格的な『大祓祝詞』もある。
また、「とほかみえみため」という祝詞は、短いながら、強力な言霊だと言われているし、確かにそうだと思う。
略祓詞として、「祓え給え 清め給え」でも、大変な威力があると思う。








  
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