再び、最もシンプルな幸福への鍵に戻る。
「神様の奇跡が起こる」である。
面倒なら、この言葉だけ覚えておけば良い。
ホームレスの男性が、この言葉を唱え続けることで、「宝くじで1憶円が当たる」「ローマ法王に謁見する」「再度、宝くじで1憶円が当たる」という、これが奇跡でなくて何かということが連続して起こった。
このことは、著名な教育学者の七田眞氏が、著書『奇跡の超「右脳」開運法』の中で、「正真正銘の実話」と述べている。

あえて、このホームレスの男性の良かったことを言えば、彼が「自分を重要人物と見なしていない」ことだ。
駄目な人間というのは、自分が駄目であることを自覚しているかというと、そんなことはほとんどなく、異様にプライドが高く、馬鹿にされると、はらわたが煮えくり返るほどの怒りを感じ、馬鹿にした相手を恨み、それを根に持つことが多いのである。
そんなプライドをくすぐられれば、容易く騙される。
プライドには良い面もあるのだろうが、「安っぽいプライド」は厄介なだけのものである。
そのホームレスの男性は、そんなプライドなど持っていなかったので、素直だし、神様も信じていた。
だから、愚直に、「神様の奇跡が起こる」を1日中唱えていたのである。
だが、安っぽいプライド・・・その根源である肥大した自我を持っている者でも、もし、根気よく、この言葉を数多く繰り返すことが出来れば、自我が弱まり、やがて奇跡を起こすことが出来るだろう。

幸福のポイントは、自我を屈服させることなのである。
そして、「神様の奇跡が起こる」という言葉は、その意味でも優れた言葉なのだ。
何せ、奇跡を起こすのは自分ではなく、自分は何もしない。自分に奇跡が起こせる訳ではないからだ。
この言葉を繰り返せば繰り返すほど、それが無意識に自覚され、自我が退き、同時に、神の力を崇めることになる。

神という言葉に抵抗があるとすれば残念だと思う。
ただ、それでも、この世で頼るべき力は、自分の貧弱な頭脳と身体、自分の所有物、そして、家族や友人が全てであると思っている訳ではないと思う。
運とか因果とか縁といった、人間の知性では計り知れない何かはあると、少なくとも感じていると思う。
もし、そいうではないガチガチの物質主義者であれば、救うのは非常に難しいが、そんな人が、このブログを読んでいることはないと思う。
しかし、神という言葉に抵抗がある場合は、こんなふうに唱えれば良い。
「予期出来ないことは起きる。不可能に見えたことが今実現しようとしている」
「予想しないことが起こり、道は開ける」
(「予期」「予想」は入れ替えても良い)
神という言葉は使わないながら、自分の力を超えた神秘の存在は認めていることになる。
ならば、これらの言葉を繰り返せば、神秘は味方になってくれる。
あるいは、単に、「神様の奇跡が起こる」の「神様」を省略させていただき「奇跡が起こる」と唱えても良い。
「神様」を略すなど不遜と思うかもしれないが、表向き「神様、神様」と言うより、無意識で実質に認めている方が良い。
「奇跡が起こる」と繰り返し唱えることで、実質で、奇跡を起こす神の力を認めることになるのである。
細かなことだが、「奇跡は起きる」という言い方がピッタリする場合もある。
Mitchie M氏による初音ミクさんの名曲『Freely Tomorrow』でも「奇跡は起きる」と歌われているが、ミクさんの自我のない歌声は魂に入り易く、良い効果があるかもしれない。
これも、逆に、ミクさんなどボーカロイドに抵抗のある人はやめておいた方が良いが。

言葉は、顔をしかめて必死で唱えるのではなく、「静かに、ゆっくり、丁寧に」繰り返すことが効果的である。
これを、自我が退くまで根気強く行えるかどうかが鍵になる。
プライドが高い者は、なかなかこれが出来ず、結果、「どうしてもうまくいかない駄目な人」になってしまう。
そして、成功の扉の前には、無数の死体が転がっているとも言われる。
成功直前は苦しい状況になる場合がよくある。
いわゆる、「夜明け前が一番暗い」のである。
後一歩で成功するところで諦めてしまい、屍と化す者が多い。
このことも憶えておくと良いだろう。








  
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