有り難い、力のある呪文、真言、祝詞などは確かにあるが、それを知っている者だけが得をして、知らない者には恵が与えられないというようなことなどない。
理不尽なのは荒んだ人の世のことであり、神仏の世界に、そんなことがあるはずがない。
知っておくべき言葉としては、「神様」とか「仏様」で十分で、もし、「弁天様」「大黒様」「恵比須様」「阿弥陀様」「観音様」「お不動様」など、住んでいる村やら、家系に伝わる神仏の名があれば、その名を唱えれば良い。
そういったものを知らなくてさえ、昔から日本人は太陽を「お天道様」と言って神聖視し、お天道様に見られて恥ずかしくない行動を心がけたのである。
むしろ、キリスト教やイスラム教のような形式がなかったことで、日本人は、自然の中に神秘を感じ、理想的な信仰心が培われたのである。
だから、明治以前に日本を訪れた外国人が、信仰を持たないはずの日本人の美徳に驚かされることがあった。
例えば、外国では花を買うのは金持ちと決まっていたが、日本では庶民が花を買うのが普通だった。
また、岡本太郎によれば、西洋では、家が大きく、別に金持ちでなくても、個室があって部屋には鍵がかかったので、暑い季節には女性は自然に部屋で裸で過ごしたが、それを普通見ることは出来ないということから、女性の裸体画が流行し、現代に到っている。
しかし、日本では、昔は銭湯は混浴が普通だったし、人目がある家の外で女性が裸で水浴するのも当たり前だったことが、西洋人を驚愕させた。
これも、こそこそ隠れなくても、お天道様の下では健康的だという(銭湯も明るい時間のみ営業されていた)、ある種の信仰心と思える。

だが、西洋思想の影響が強い明治政府になってから、日本人は煩いに襲われることが多くなった。
そんな中で、意識的な信仰・・・呪文、真言、祈りといったもので、本当に庶民に力を与えたのは念仏だった。
「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える者の中に、外国では滅多に見られないような聖人が、農民、職人、商人といった庶民の中に「ゴロゴロ」出て来たのだ。
そんな、主に念仏を唱える庶民の聖人を「妙好人(みょうこうじん)」と呼ぶ。
妙好人の研究をした学者はかなりいるが、皆、難しいことばかり言ったり書いたりするだけで、あまり本質は掴んでいないかもしれない。
因幡の権左(いなばのごんざ)という妙好人はよく知られていて、彼もまた全くただの農民であったが、おそらく偉大な聖者だった。
権左が町に出て、それなりの額の金を得て村に帰る時、あきらかに金目当ての男がついてきたが、それに気付いていも権左は少しも恐れず、その男に近付き「金が欲しいならやるよ」と親し気に話しかけ、強盗する気だった男は何も出来なかった。
権左の畑から芋が掘り返されて盗まれると、権左は畑に鍬を置いておくようになった。素手で芋を掘って怪我をしてはいけないという配慮からだった。
家から金が盗まれ、盗んだ者が誰か分かり切っていても気にせず、相手が改心して返しに来ても、平然としたままで、別に返す必要はないと言う。
アインシュタインもそんなところがあって、乞われれば誰にでも金を与え、妻に怒られても、「誰も伊達や酔狂で物乞いなどしない」と平気だった。
ただ、アインシュタインは宗教上の偏見があることを自分で認めており、心に影があった。

著名な投資家でもあった作家マックス・ギュンターは、彼が最強と考える投資家に秘訣を聞いたら、そのスーパー投資家はこう言ったそうだ。
「欲張らないことだよ」
これが、あらゆることに通じる肝心なことで、秘訣というよりは、親に教わるべき基本中の基本である。
だが、我々は余計なことばかり教えられ、一番大切なことは誰も教えてくれないのだ。
欲張らず、大自然の中に感じる神を崇めれば、まあ、恐れることは何もない。








  
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