日本人は無宗教だと言いながら、厄除け、厄祓い(厄払い)、お祓いは、少しも特殊でも珍しくもないのだから不思議だ。
およそ信仰など持ってなさそうな男が、「最近、妹に悪いことが起こるので、あちこちの神社に厄除けの祈願に行っている」などと言うが、それを聞いても、別にビックリもしない。
外国人の、日本文化に関する研究者の中には、「日本は無宗教と言われるが、そうではなく、日本の神道は空気のように自然な宗教なのであり、無いように見えても必要不可欠なものである」と見事に見抜く者がいるが、まさにその通りと思う。

その日本で、知的・理性的とも宗教的とも言い難いが、いわば無意識的に重んじられるのが、厄除け、厄祓いなどの「お祓い」である。
そして、お祓いの原理は分からないながら、実際に効くように思われるのである。
人や土地や建物、あるいは、あらゆるものに、「障(さわ)り」というものが憑くことがあり、それが、運命に悪影響を与えるのである。
そして、障るものは、神だと言われている。
キリスト教的な神様の観念が強い現代人なら、「なんで神様が障るのだ?」と思うだろう。
しかし、自然宗教とも言える神道では、風や火や雨といった自然現象や、屋根や戸口やトイレといった建物の一部や設備、さらに、包丁や農耕具といったあらゆる物の神様がいて、それらの神様が、何らかの理由で、時に人間にとって有り難くないと思えることをするかもしれないのである。
悪い影響を与える死霊や動物霊を取り除くというのがお祓いなのであるが、日本では、そんな死霊や動物霊を、「悪霊」とは言わず、あくまで「神様」として扱うのが本来的なのだと思う。
西洋でも「悪魔祓い」という考え方はあるが。西洋の悪魔は完全な悪者で、神などと言うことは決してない。

だが、東洋だろうが西洋だろうが、運命に悪い影響を及ぼす霊的な存在は、取り除くか浄化するのが良いと考えるところは一致していると思う。
そして、その通りである。

少し、原理的な話をしようと思うが、もちろん、公認された話ではない。
政木和三さんは、人間には、複数の「生命体」と呼ばれる生命エネルギーがあると言う。
「第一生命体」と言うものが、その人間の本体の生命体と思われる。
そして、「第二生命体」が、最も大きな影響を与える生命エネルギーで、さらに、「第三生命体」「第四生命体」と、程度の大小はあっても、やはり、その人間の人間性や運命に影響を与える。
尚、いくつの生命体があるのかというと、「第二生命体」「第三生命体」あたりまでは必ずあるのだと思われる。
例えば、政木さんの話では、現役プロレスラーだった時のアントニオ猪木さんは、第一生命体は実は、女性のような優しい生命体で、普段の猪木さんは大人しい優しい人なのだが、第二か第三かは忘れたが、ヘラクレスの生命体がついていて、リングに上がると途方もない強さを発揮するのだと言う。
第二生命体や第三生命体、それ以下の生命体は、入れ替わることがある。
知的な生命体が入ると頭脳明晰になるし、芸術家の生命体が入ると、急に絵が上手くなったり、芸術が理解出来るようになる。
逆に、凶悪な生命体が入ると、暴力を振るいたくなったり、野蛮な、あるいは、残酷なことをしたくなる。

だから、好ましくない生命体には出て行っていただき、好ましい生命体に入ってもらいたいと思うのである。
そして、それは、我々の本体である第一生命体次第なのだ。
第二以下の生命体の影響で、酒好きだったり飽食に耽ったり、性的な誘惑に弱くても、第一生命体である真の自己が強い意思を持って、高貴な心を持とうと決心すれば、良い生命体が入り、悪い生命体が出ていく。
『マジック・ストーリー(翻訳には『人生を変える魔法の物語』がある)』では、翻訳では、良い生命体を「プラスの自分」、悪い生命体を「マイナスの自分」と呼んでいるが、原作通り「プラス・エンティティ(プラスの生命体)」、「マイナス・エンティティ(マイナスの生命体)」と呼んだ方が良いと思う。
この本にも、自分の意思によって、プラスの生命体かマイナスの生命体が入り、それによって運命が大きく変わることが面白く描いている。
完全な書き方ではないが、面白いし、大いに参考になるだろう。

結局のところ、真の自己である第一生命体が、どうやって優れた良い生命体を迎えるか、悪い生命体を追い出すかで、運命は決まるのかもしれない。
これについては、いろいろ良い手立てを語れると思うので、今後、述べていこうと思う。








  
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