早寝早起きはしているし、呪文や真言、あるいは、単語法(「富」や「成功」などの言葉を繰り返し唱える)も実行している。
しかし、良いことがない。
そればかりか、得体の知れない不安に苦しめられている。
なぜそうなるかと言うと、簡単に言えば、力がないのである。
これに関し、どうすれば良いかというと、難しい言い方で表現している人が多いが、簡単に言えば、
「我慢する」
ことだ。
神は、我慢した分の倍の力を与えてくれると言われている。
例えば、満腹するまで食べたいのに、腹八分目で我慢すれば、我慢した2割の倍の4割の力をくれる。
腹六分目なら、(我慢した)4割×2で8割だ。
ただし、我慢した訳ではない少食の場合は力にならず、その者は、別の欲求を我慢しなければならない。
人間は、放埓(ほうらつ。勝手きまま)に振る舞いたいと思っているが、それを抑えることを我慢と言うのである。

日本には、力をつけ、願いを叶える秘法である「断ち物」がある。
特に好む娯楽や嗜好品を断つこと、即ち、我慢することで、神の援助を得るのである。
有名なものでは、上杉謙信の女断ちがある。
いくらでも好みの女を得られる立場でありながら、戦での勝利を願い、女と交わることを全て我慢することで、上杉謙信は実際、戦では無敗だった。
3食全部チョコレートでいいと言う位、チョコレートが好きな女性は、女優で成功するために、チョコレートを決して食べないと決めてそれを実行し、人気女優になった。

注意しておくべきことがある。
それは、不道徳なもの、他人の迷惑になることについては、我慢すれば力が与えられるが、我慢しなければ力を失うということだ。
例えば酒である。いくら酒が好きでも、適量に抑えなければ、力を失い、運勢は悪くなる。
また、ロリコンというか、小児性愛も、「心で思うだけなら自由だろ?」と言うなら、全くそうではない。

水野南北は、「運勢は、食が多いか少ないかで完全に決まる。万に一つの外れもない」と言ったが、もっと正確に言うなら、こうである。
確かに、我慢して食べなかった分は、力が与えられるので、運勢も良くなる。
だが、食欲、性欲、名誉欲といった、人間の本質的な欲望は、過ぎた分は、その者の力や運が、厳しく奪われるのである。
とはいえ、極端に欲望を抑えるのも間違いなのである。
『バガヴァッド・ギーター』で、神クリシュナが、「食べ過ぎてはいけないが、少食過ぎてもいけない」「惰眠を貪ってはならないが、短眠過ぎるのも良くない」と言っている通りである。
昼まで寝ていたいというより、放埓に夜更かしすることが悪いのである。
言うまでもないが、仕事で遅くまで起きている必要があるなら別である。こんな当たり前のことを書くのもおかしいが、こんなことを、いちいち尋ねてくる者もいるのである。

このように言っても、どうしても食べ放題に食べたい、性的嗜好を満足させたい、酒を浴びるほど飲みたい、趣味を徹底的に楽しみたい・・・と言う者は多く、そんな者達は、いかにも正当そうな主張で反論してくることが多いが、一切無駄である。
「我慢すれば幸福。放埓なら不幸」
万に一つの外れもない。








  
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