中国出身の女性実業家、自己啓発指導者、作家であるチン・ニンチュウの『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』に、夢を叶えるための、ある簡単な秘訣が書かれているが、それは聖書にも明確な例が見られるもので、本物の引き寄せ指導者が好んで語るものである。
『誰でも小さなことで大切な願いがかなえられる』では、こんな話だ。

ハリウッド・スターのバート・レイノルズがまだ駆け出しの頃、既に大スターだったクリント・イーストウッドに、
「人気が出るまで何をしていましたか?」
と尋ねると、イーストウッドは、
「成功するための準備をしていた」
と答え、それを聞いたレイノルズは成功への階段を駆け上がった。
しかし、この本の著者は、これについて、ただ、レイノルズは「深遠な原則を理解し」としか書いてくれていない。
何て不親切なんだ・・・と思うが、まあ、要は、成功の準備をすれば良いのである。
偉大なる引き寄せマスターのフローレンス・スコーヴェル・シンは、お金がないが世界一周旅行に行きたいという男性に、旅行カバンを買って、旅行の準備をするよう薦めた。
その男性がそれに従うと、思いがけないところから大金が入り、彼は旅行に出かけた・・・こんな感じである。

旧約聖書の『列王紀略下』に、エリシャが砂漠に雨を降らせた話がある。
エリシャは、どんな準備をしたのだろうか?
エリシャは王に、砂漠に、水路となる溝を掘るよう要請し、王はエリシャを信じて溝を掘らせた。
すると、大量の雨が降った。
つまり、溝を掘って、雨が降った時に必要な水路の準備をしたのである。

これらの準備は適切だった。
しかし、少し注意が必要だ。

可愛いあの子を彼女にしたいなら、まず、格好良い服を買い、髪型も決めてデートの準備をするべきだし、さらに、デートでのエスコートを余裕で出来るよう、お店をしっかり調べておくことも必要だろう。
だが、モテないやつは、この方面の準備が下手なものであり、準備がかえって逆効果になることも多い。
準備とは、決して表面上のことではなく、心の問題であり、あの子を彼女に出来る心の準備が出来ているかどうかなのである。
これについては、新約聖書の『マタイ福音書』の「十人の乙女のたとえ」のイエスの話が参考になる。
十人の乙女が花婿を迎えに行った。
十人の乙女はランプを持っていたが、予備の油を持っていたのは五人だけだった。
だが、花婿の到着が遅れ、ランプの油が切れてしまった。
五人の乙女は予備の油を持っていたので大丈夫だったが、残りの五人は油を買いに行く間に花婿が来てしまい、婚礼の宴の建物に入れてもらえず、油を準備していた五人だけが結婚出来た。
油を準備していなかった五人の乙女も、下らないものの準備はしていたかもしれない。
だが、知恵がなかったので、肝心の油を準備していなかったのだ。
知恵のない者の準備の例を上げれば、例えば「病気になった時のためにお金を貯めておこう」といったものだ。
すると、準備した通り、病気になるのだ。
知恵のない準備は虚しい結果を呼ぶ。

知恵のない準備をした者の例に、あの童話作家のアンデルセンがいる。
24歳のアンデルセンは、好きな女性が出来、彼女を得るための準備をした。
その準備とは、自分のことを知ってもらうための自伝を書いたのだ。
当然、振られた(笑)。
一般的なオタクが失敗するパターンだ。
つまり、自分のことを知ってもらうのではなく、相手を理解することが必要なのだ。
この点、アンデルセンもただの阿呆で、もちろん、彼は一生独身だった。
だが彼は、14歳でデンマークに出て来てから長い間、作家として成功するための長い準備をしたのだ。
志した歌手や役者としては全く認められずに馬鹿にされ、その後、教師のパワハラに耐え続けて学業を終えたのである。
『人魚姫』や『マッチ売りの少女』などのヒロイン達の苦しみを、アンデルセンが美しく描けたのは、自身の辛い経験があったからである。
準備は、パートタイムでやるものではない。
常に、怠りなく備えなければならない。
根気も必要であるが、自然でまっとうなことをやれば良いのであるから、それほど辛くはなく、むしろ楽しいし、もし、辛いならば報いも大きいであろう。
アンデルセンも、苦難が報われた時の感動(学生たちの称賛の儀式)を自伝で熱く語っている。








  
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