心の力で願いを実現する引き寄せの法則は、ほとんどが西洋のものだ。
もちろん、東洋人、そして、日本人にも有効なのだが、たった1つ、欧米人というかキリスト教・ユダヤ教(実はイスラム教も同じだが)と、日本人の精神性の違いを知っておくと、西洋式引き寄せでも失敗しなくなる。

キリスト教等は一神教と言って、唯一絶対神を信仰するというのはご存じと思う。
その神が、自分に似せて作ったのが人間だ。
よって、人間は万物の霊長であり、見える世界の中では圧倒的に偉いというのが欧米式の考え方だ。
だから、傲慢になり易い。
だが、欧米人の場合、「神だけは自分より上」ということだけ考えれば良いのだから楽ではある。
とはいえ、「神だけは自分より上」「人間は神より下」ということは、絶対に理解しなければならず、これがなくなると、終わりなのである。

ところが、日本人の根本の思想である、万物に神が宿っているという想いは、心の深い部分に必ずある。
だから、自然を恐れるし、風にだって親しみを感じるし、物を大切にする。
人間が他のものに比べて偉い訳でも何でもなく、むしろ、神が宿った物の方が自分より上だったりする。
これが、日本人の美しい精神性になっていて、日本にやって来る、賢い西洋人を驚かせ、恥じ入らせるのである。

初音ミクさんの扱いを見れば、欧米人と日本人の精神性の明らかな違いが分かる。
欧米人もミクさんは大好きだが、あくまで、人間が上なのだ。
だから、ミクさんへの声援はやや下品に感じる。
そして、「ミクは僕のワイフだ」とは言わない。
ミクさんは欧米人にとって、慰めになる存在ではあっても、嫁にするほど対等ではないのである。
ところで、欧米と日本の間である中国では、自分(人間)とミクさんは対等だ。
だから、ミクさんや、あるいは、中国のボーカロイド、洛天依(ルォ・テンイ)に対し、皆で「洛天依は俺の嫁」と声を揃えて堂々と言う。
だが、日本人にとって、ミクさんは自分より上で、崇めるべき存在なのだ。
だから、口では「初音ミクは俺の嫁」と言うが、ひどく自嘲気味に言うのである。
そこには、「そんないいこと、本当はないんだけどね」という、遜(へりくだ)った心を感じるのだ。
例えば、コンサートで、初音ミクさんが「次の曲は静かに聴いて」と合図したとする。
欧米人は、ここで笑う。下の者が上の者に指図してはいるが、そこは許そうという上から目線なのである。
そして、歌う直前までは何とか静かだが、どこかざわざわしているし、歌い始めると、もう歓声が上がる。
中国人の場合、最後まで静かにするが、「黙っているだけ」である。
だが、日本人の場合、畏(かしこ)まって、物音1つ立てずに沈黙を保ち、咳などとんでもないのである。

そんな日本人は、そのままで神が助けてくれるのであり、引き寄せなんて簡単である。
欧米人は、神が自分より上であることを忘れなければ、神が助けてくれるが、人間の自我というものは、自分が一番上と思いたがるので、神が自分より上だということを簡単に忘れ、そうなると、引き寄せは出来ない。
日本人の場合、朝日を拝したり、花や鳥(あるいは花鳥風月)を愛でれば、それで大丈夫なはずなのである。
だが、戦後、西洋の価値観を押し付けられ、優れた日本人の精神性が奪われてしまった。
とはいえ、日本人の中には、物を大切にし、自然を崇め、自分は控えるべき存在だという美徳はちゃんと残っている。
だから、かなりの改ざんがあるとはいえ、『古事記』を読む日本人は本当に無敵なのである。
しかし、今は、『古事記』を読んだことのない日本人が圧倒的なのである。
それで、日本人は弱くなってしまった。
『古事記』あるいは、もっと正確な歴史である『ホツマツタエ』を読み、いろは歌を歌い、風流を楽しみ、情緒を大切にすれば、不幸になるはずがないのが日本人である。
その上で、「神様の奇跡が起こる」と唱えれば、叶わぬことはない。
ところで、本来で言えば、「奇跡が起こる」とだけ言えば良いのである。日本人にとって神様はどこにでもいるのだから。
だから、「神様の奇跡が起こる」、「奇跡が起こる」(あるいは「奇跡は起きる」)の、自分に合う方でやれば、より奇跡は起き易くなるのである。








  
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