出来ると思えば出来る。
上手くいくと思えば上手くいく。
手に入ると思えば手に入る。
この宇宙は、そんな信念の法則で出来ている。
そりゃ、すぐには出来ないこともある。
例えば、綱渡りをする人を見た子供が、「そんなの僕にも出来るさ」と思ってやってみたら、さっぱり出来ない。
だが、出来るようになりたいと思い、諦めなければ出来るようになる。
そして、その時、大切なことは、「僕は出来るようになる」という信念だ。
ただ、その信念に何か根拠がある訳ではない。
ここが肝心なところだ。
つまり、「出来る」と「決めつける」ことが大切なのだ。

人間の能力は「決めつける能力」だけだ。
何ともシンプルなものである。
「出来ると思えば出来る」
は、丁寧に言えば、
「出来ると信じることが出来れば出来る」
ということだが、これではちょっと曖昧だ。
だから、これは、
「出来ると決めつければ出来る」
と言った方が良いと思う。
この「決めつける能力」を持つか持たないかで全てが決まるのである。

人間は、元々、決めつける能力を持っている。
郊外の旅行に出かける前の子供が楽しそうなのは、「その旅行が楽しいと決めつけている」からだ。
クリスマスの朝、子供達が嬉しそうなのは、「今日は楽しいと決めつけている」からだ。
そして、その通りになる。
だが、そう決めつけるはずの気持ちに「魔が入り込んだ」時、旅行やクリスマスが悲しいものに変わる。

小学生だった時の、「明日から夏休み」という気持ちを思い出せるかもしれない。
人によって違いはあるだろうが、私にとっては、うっとりとするような至福であったことを、今でも熱く思い出す。
学校が大嫌いだったからだ。
私は、夏休みは楽しいと決めつけていたし、その通りに楽しかった。
まあ、主に前半だけかもしれないが、少なくとも前半は天国だったのだ。
でも、夏休みが楽しいなんて根拠は本当はないのだ。
しかし、我々は、そう決めつけることが出来、実際、夏休みは(少なくとも前半は)楽しかったのだ。

決めつける能力を取り戻せば勝ちなのである。
それには、普遍的事実と思えることを利用するという手もある。
例えば、インドの聖者ラマナ・マハルシは、重要な真理を述べる時、「朝、太陽が昇るように」などと言った。
太陽が昇らない日はないからだ。
山岸凉子さんの、1980年代の傑作漫画『日出処の天子』で、聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのおうじ)が、蘇我蝦夷(そがのえみし)に、人間には超能力があることを、こんな譬えで言う場面があった。
「水が高いところから低いところに流れるように、それは誰にでも出来ることなのだ」

あなたには、成し遂げたい目標があるかもしれない。
叶って欲しい願いがあるかもしれない。
それは「決めつければ」叶う。
それだけのことなのだ。
ならば、
「小学生の時、夏休みが楽しいのが当たり前だったように」
「太陽が毎朝必ず昇るように」
「水が高いところから低いところに流れるように」
「初音ミクさんが可愛いのが当たり前なように」
願いが叶うと決めつければ叶う。
そのためには、「当たり前と感じる時の気」をまず出すのだ。
例えば、あなたが、絶対的に当たり前だと感じられることが、「放り上げたものが必ず地面に落ちて来ること」だとすれば、まず、
「放り上げたものは必ず地面に落ちて来る」
と言えば、「当たり前と感じる気」が出る。
つまり、自然な精神状態になるのである。
その時に、願い事を思い浮かべ、「うまくいく」「大丈夫」「いける」「やれる」と言えば叶う。
合氣道家の藤平光一氏は、「重みは下にある」という言葉を使う例を著書に書き、この言葉で「氣」が出る実験についても書かれていた。
そんな、当たり前の言葉を・・・あまりに当たり前と思えるシンプルな言葉を用意し、いつも使えば良いと思う。
1975年に連載が開始され、2007年に連載が再開、いまだ、終了したかどうか分からない、池田悦子原作、あしべゆうほ作画の漫画『悪魔の花嫁』で、主人公の絶世の美少女、美奈子(自分が美少女だということを鼻にかけたことは一度もない)が、こう言うのをよく憶えている。
「生まれいずる命は美しい。何もまして美しい」
こう言って、美奈子は晴れやかな顔で悪魔の誘惑を断ち切った。
このような美しい言葉を自分のものにしている者は幸いである。








  
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