アメリカで、ものすごく駄目な男がいた。
50代も半ばを過ぎ、全くうだつが上がらない上に、会社をクビになってしまった。
彼は、いまさらだが、毎日、自己開発セミナーに通ったが、何も変化は起こらなかった。
しかし、ある日、セミナー会場で、ミラクル(奇跡)が起こった。
別に、セミナーが良かったのではない。
昔のことだから、セミナー会場の窓から、暗くなった外のネオンサインが見えたのだ。
それを見た時に全てが変わった。
そのネオンサインは、“American”(アメリカン)という文字だった。
だが、先頭の“Amer”の4文字が、ビルに隠れて見えなかった。
だから、彼に見えたのは、残りの“ican”だ。つまり、
I can(わたしはできる)
である。
彼は、生まれてから60年近くずっと・・・それこそ、赤ん坊の時から、「お前はできない」と言われ続け、いつからか、「わたしはできない」と自分で言い、彼の頭の中には、いつも、「わたしはできない」というつぶやき、独り言、自己暗示に満ちていたのだ。
だが、「わたしはできる」は「わたしはできない」より強いことを感じたのだろう。
それからは、「I can(わたしはできる)」を忘れないようにし、ある会社で職を得、やがて、そこの総支配人になった。

我々も、「わたしはできる」という、自己暗示、アファーメーション、つぶやき、呪文・・・何と呼んでも構わないが、それを、頭の中の「わたしはできない」が消えるまで、根気強く唱え続ければ良い。
ただ・・・
「わたしはできる」は、やや硬いというか、普段、あまり使わないかもしれない。
可能であることを表現する時、我々は、「やれる」と言う場合が多い。
古いSMAPの歌の『SHAKE』に、「あしたからハレルヤ ふたりならヤレルヤ」という歌詞があったが、これで意味が通じてしまうだろう。
また、「やれる」とは別に、可能であることを示す言葉に「いける」がある。
「やれる」が、ほぼ自分1人で実行するのに対し、「いける」には、自分以外・・・チームの力や運の力が加わる感じがある。
「イケてる」「イケメン」といった俗語も、「いける」から来ていると思うが、「いける」は「いかす(格好良い)」から来ているようだ。
「いかす」は「生かす」「活かす」であるとも思えるが、面白いことに、「やる」が「遣る」(行かす)であるように、「いける」も「行ける」というように、「移動する」「移動させる」の意味もある。
つまり、「やれる」「いける」は、同じような言葉・・・目的地に「行ける」といったものかもしれない。
そして、やはり、「やれる」は個人的に行うことに対し、「いける」は、自分以外の力も作用する。
難しい問題に取り組んでいる時、解決の可能性が見えたら、「いける」と思うことが多いが、これは、運も味方している雰囲気がある。

『まちカドまぞく』というアニメで、高校1年生の優子が、初めてバイトをして得たお金で、妹の良子(りょうこ)に何か買ってあげるために、良子をショッピング街に連れて行く話がある。
しかし、小さい(9歳)が、賢くて気遣いをする良子は遠慮して欲しいものを言えない。
ところが、そこについて来ていた、観察力の鋭い、優子の同級生、桃(もも)は、良子が、あるデジタルカメラを欲しがっていることに気付き、それを優子に伝える。
優子は、そのデジタルカメラの値札を見て、所持金で変えることが分かると、心の中でこう言ったのだ。
「いける!」
と。
優子がバイトをしたのも、それだけのお金が残ったのも、良子が欲しいものが分かったのも、偶然に偶然が重なった結果だった。
そんな状況を示すには「いける」は適切な言葉だ。

我々の頭の中に、親や教師やテレビが叩き込み続けた「無理だ」「できない」「失敗する」「諦めろ」といった言葉を、「いける」「やれる」で退治していくと良い。
つまり、「いける」「やれる」を口ぐせにすると良いだろう。
これまで、お薦めしてきた言葉「神様の奇跡が起こる」「ありがたい」は、やや落ち着いた時に使うもので、やや大きめの武器のようなもので、破壊力は抜群だが、「いける」「やれる」は、小型光線銃のように打ちまくるものと言えるかもしれない。








  
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