親や学校やテレビから叩き込まれた言葉を無効にするアファーメーション(肯定的断言)を行うと、まずは、親や学校や社会に対する反発や恨みが起こるかもしれない。
それで、親や学校や社会を非難したくなるが、非難というのは、非難する対象と同一化する効果がある・・・つまり、アファーメーションの反対なのである。
だから、非難、批判する暇があったら、アファーメーションに励むことだ。
そうすれば、世俗(親、学校、社会)は、地面に吹くつむじ風のようなもので、地上よりずっと高いところを飛ぶあなたには何の影響も与えることが出来なくなる。
しかし、自分が高く飛んでいないと、そんな下らない地上の風に悩まされる。
苦しい時ほど、アファーメーションに励むことだ。
アファーメーションの例は、
「大丈夫」「何とかなる」「絶好調」「ありがたい」「神様の奇跡が起こる」「予期せぬことが起こり道が開ける」「全て良くなる」「私は何でも出来る」「可能だ」「豊かだ」
などで、これらは、言うなれば、親や学校やテレビで教えられた言葉と全く逆の言葉だ。
これらの言葉は、比較的唱えやすい。
その中でも、選ぶのに困ったら、とりあえず、「神様の奇跡が起こる」か「ありがたい」をお薦めする。
実は、「神様の奇跡が起こる」と「ありがたい」は、本質では同じ意味だ。つまり、どっちでも良いのだ。

難しいことは言いたくないが、日本語は特別なので、「富」「愛」「平和」「成功」といった言葉だけで強い力がある・・・というか、真面目であれば、言葉だけの方が、ずっと強い効果がある。
言葉だけを唱えることを「単語法」と言うが、腐りきった心の持ち主であれば、単語法は続き難い。
とはいえ、誰にでも効果があることは確かなので、餓鬼や畜生の心しかなくても、もし、頑張って唱え続ければ、速く高い効果が出る。

アファーメーションが出来ないのは、頭の中に、親や学校やテレビで教えられたマイナスの言葉が自動反復されているからで、そこは、意思の力で頑張らねばならない。
他のことは頑張らなくていいから、アファーメーションだけは頑張るべきである。
するとやがて、アファーメーションをしなくても、気分が落ち着いていることに気が付く。
ついに、親や学校やテレビで教育されたマイナスの言葉が消え去ったのだ。
そうなれば、何かをしたいと思ったら、自動的にそれが出来るようになるし、誰かに会いたいと思えば偶然に会うようになる。

尚、以前、誰かから、単語法について、こんな質問を受けた。
ジョン・マクドナルドの『マスターの教え』にも単語法が紹介されているが、この本では、毎夜の訓練の時間だけ単語法をやり、日中は忘れるよう指示されている。
だから、日中は単語法をしない方が良いのかといった質問だが、それは英語の場合である。
言霊の言語である日本語の場合は、いつでもどこでもが良い。
本当のことを言うと、英語にだって言霊は当然あり、特定の言葉を使う限り、やはり、常に唱えるのが良い。
実際、ジョセフ・マーフィーもそれを進めているが、やはり、特定の言葉を、「静かに」「ゆっくり」「心を込めて」行うよう注意している。
ジョセフ・マーフィーが薦めているのは「富」「成功」という言葉だが、これらの言葉を丁寧に唱えると、実益的な意味より、やはり、言霊による深い意味が浮かぶ。
例えばだが、豊かで平和で愛情にあふれた家の雰囲気が、「富」という言葉の中にある。

いずれにしろ、一番悪くて愚かなことは、テレビをつけっぱなしにして、受動的に受け入れ続けることで、それは、悪魔に魂を売る儀式に等しい。
そんな人間がSNSで発信しているし、ネットもテレビと同じ広告宣伝が多いので、インターネットもテレビと同じ部分が確かにあるが、インターネットの場合は、まだ、自分の意思で情報を選ぶチャンスがある点でマシである。
以前は、「テレビは見ない方が良い」だったが、今は、「テレビは絶対に見てはいけない」というのが正解と思う。
実際、いつテレビを付けても、そのあまりの下らなさ、醜悪さは目を疑うほどであると私は思う。








  
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