「20世紀最大の詩人」と言われたアイルランドの詩人・劇作家のウィリアム・バトラー・イェイツの未完の自伝的小説『まだらの鳥』で、イェイツ自身を投影した主人公マイケルが、マーガレットという名の絶世の美少女に対し、興味深い考えが浮かんでいる。
「美しいのも限度を超えると、憐れみを感じる」
なるほど、一度は言われてみたい言葉だ(笑)。
だが、これは、日本的、あるいは、日本語的感覚である。
と言うのは、古い日本語では、「可愛い」は「かはゆし(かわゆし)」で、「かはゆし」というのは「いたはしい(いたわしい)」気持ちを表す言葉であるが、「いたはしい」は辞書によれば「深く同情が起こるような、気の毒な有様だ。いたましい。」という意味だ。
確かに、過ぎた美しさを「いたいけ」と言うものである。
つまり、イェイツは、マーガレットが可愛いのであり、そのマーガレットは過ぎた美しさを持っている。
日本は「可愛いの国」と言われるらしいが、日本では、「可愛い」が最強で「美しい」より上なのである。

日本は可愛いの国である・・・というより、可愛いを崇拝する国だ。
これは、とても良いことだ。
可愛いは美しいを超えるのである。
日本語で、可愛いを一文字で言えば、「幼い、愛らしい」を意味する「乙」となり、乙女、乙姫などと言えば、「幼くて愛らしい女」「幼くて愛らしい姫」であるが、この「幼い」もまた、「愛らしい」という意味で使われることが多く、必ずしも年齢的な幼さを言うものではない。

「乙」がなぜ可愛いのかというと「2番目」という意味があるからだ。「乙種」が「第2種」を意味する通りだ。
つまり、一歩引いており、日本では、そんな態度が可愛いのである。
今では「甲乙」とよく言うが「乙甲」と書いて「めりかり」と呼び、これは「まぶしい低音」を指し、2番目の乙は、実際は1番の甲を超えるのである。
私は全く知らないが、フリーマーケットアプリの「メリカリ」は、「乙甲」の言霊を当てたのかもしれない。
「乙」に比べると、「若」は、「少ない」という意味で、「若い」は「少ない歳」ということで、別に悪い意味ではないが、「若」は「じゃく」と読む通り「弱い」という意味があり、「少し」という意味と合わせ、称賛の言葉ではないように思う。

急に日本語談義をやってしまったが、とにかく、日本の言葉には言霊が宿り、1文字1文字が極めて重要である。
日本語を大切にするだけで、自然と調和し、霊的な力に護られ、一芸に秀で、好ましいものを引き寄せ、健康で幸福になれる。
一方、そんな日本では、言葉をぞんざい(投げやりで乱暴)に扱うことの反作用が恐ろしいのである。
日本で、うまくいく人、楽をしている人、恵まれた人というのは、間違いなく、言葉を大切にしている。
特に能力が高いとは思えないが、指導的立場にある人に注意すると、ある時期から日本で流行りの省略語を徹底的に使わない人だったということがある。
これは、言葉をとても大切にしていることである。
省略語を聞いて、良い感じを持ったことは、確かに一度もない。
もしかしたら、省略語は、DS(ディープステート。闇の支配者)が、日本人の力を奪うために流行らせたと言われても驚かない。
実際、下品な省略語を使うほど、その者の力は落ちていくのだから。
「ちがくね?」などは言わない方が良いだろう。

それで、最高の口癖は「ありがたい」ではないかと思うことがある。
「ありがたい」は「有り難い」で、「滅多にない」「あり得ない」であり、つまり、「奇跡」のことである。
「ありがたい」と唱えると「神様の奇跡」も起こる。
江戸末期の偉大な神道家、黒住宗忠は、ハンセン氏病(らい病)に罹った武士に、「ありがたい」を心を込めて1日1万回言わせたら、1週間ほどで完治してしまった。
心を込めてとは、やたら感情を込めることではなく、「ゆっくり」「しずかに」「丁寧に」唱えることで、特に緊急でないなら、これらを守れば、特に1日1万回も唱える必要はないと思う(奇跡が欲しければ、それ以上に唱えると良いが)。
教育学者の七田眞氏の著書『奇跡の超「右脳」開運術』に、ホームレスの男が、1日中「神様の奇跡が起こる」という言葉を唱えることを、2週間ほど続けたら、宝くじで1憶円当たった話があるが、この男は元々神様を信じていたらしい。
ただ、日本人は、キリスト教などで言うより、自然に神様を信じているものである。
「ありがたい」もまた、無意識に神様に感謝する言葉である。
これを唱えると、病気が治ったり、奇跡が起こるというのも分かる気がするのである。








  
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