「タト・トワム・アシ」という古代インドの言葉は、いろいろな意味があるが、ミヒャエル・エンデはエッセイ『文明砂漠』の中で、これを「それはお前だ」という意味で使ったという。
これはどういうことか簡単に言えば、
「君が知覚しているものが君自身だ」
ということらしい。
少し解り易く言うなら、おそらく、
「自分と異なるものは知覚出来ない」
ということだろう。
例えば、素晴らしいものを見て、「素晴らしい!」と感動する人は、その人自身が、その素晴らしいものと同一なのだ。
その同じものを、それと全く異なる人が見たら、その人にはそれがさっぱり分からないので、「これのどこが良いのか?馬鹿かお前」ってことになるだろう。
以前、YouTubeで見たが、初音ミクさんの熱烈なファンの男性が、ミクさんのファンを念頭に、「僕たちは皆、ミクなんだ」と言ったが、彼は、「タト・トワム・アシ」という言葉は知らなくても、その偉大な英知を感じていたのだ。
ミクさんと異なる人は、ミクさんが見えないのである。
もちろん、「本当には見えない」という意味であるが。
また、こんな話を、何かの本で見たことがある。
コロンブスがアメリカ大陸にやって来て、乗って来た大きな船を、周囲の1つの島の近くに停泊させたが、原住民には、その船が見えなかった。
原住民にとっては、船とはカヌーのような小さなものなので、コロンブスが乗って来た大きな船が何か全く分からないので、意識から消えてしまったのだ。
自分とは「自分の考え」であるとも言えるので、自分が考える船でなければ、それは自分にとっては船ではないのである。
そして、終局的に言えることは、自分と世界は同一であり、異なるものではないということだ。
我々が見ている世界は、自分そのものだ。
自分が知らないことは世界の中に存在しない。
丁夢がそのようであると言えば納得し易いかもしれないが、現実世界も何ら変わらないのである。
だが、人間の心には想像力がある。
想像力の正体が、深い心に隠された何かなのか、あるいは、神からのメッセージなのかは分からないが、心は新しいものを生み出すのである。
そして、心が生み出したものが外界に現れる。
逆に言えば、心が生み出さない限り、何も外界に現れない。
心は放置すると、悪魔でも入り込むのか、悪いことを考えて、悪いものを作り出すものだ。
そこで、意思で心を使い、好ましいものを作らなければならない。
そのために、良いイメージを思い浮かべるのが、上級の人のやり方だが、現代の人類のほとんどは、それが出来なくなっている。
だが、言葉なら使えるので、例えば、「私は美人だ」と言い続ければ美人になるのである。
けれども、絶えず「私は美人だ」と言わないと、悪魔は、「お前は醜い」という考えを送り続け、40歳にもなればオバサンになってしまう。
ところが、悪魔の声より多く「私は美人だ」と言えば、80歳程度でオバサンになったりはしない。
そんな例が、トラインの超ロングセラー『人生の扉をひらく「万能の鍵」』にある。
しかし、「私は美人だ」「私は健康だ」「私は裕福だ」と、個々のことをいちいち言っていては面倒で仕方がないので、「全て良くなる」と言うのが賢いのである。
そして、大きく状況を改善したければ、いつも言うが、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けるのも素晴らしい手である。
これはどういうことか簡単に言えば、
「君が知覚しているものが君自身だ」
ということらしい。
少し解り易く言うなら、おそらく、
「自分と異なるものは知覚出来ない」
ということだろう。
例えば、素晴らしいものを見て、「素晴らしい!」と感動する人は、その人自身が、その素晴らしいものと同一なのだ。
その同じものを、それと全く異なる人が見たら、その人にはそれがさっぱり分からないので、「これのどこが良いのか?馬鹿かお前」ってことになるだろう。
以前、YouTubeで見たが、初音ミクさんの熱烈なファンの男性が、ミクさんのファンを念頭に、「僕たちは皆、ミクなんだ」と言ったが、彼は、「タト・トワム・アシ」という言葉は知らなくても、その偉大な英知を感じていたのだ。
ミクさんと異なる人は、ミクさんが見えないのである。
もちろん、「本当には見えない」という意味であるが。
また、こんな話を、何かの本で見たことがある。
コロンブスがアメリカ大陸にやって来て、乗って来た大きな船を、周囲の1つの島の近くに停泊させたが、原住民には、その船が見えなかった。
原住民にとっては、船とはカヌーのような小さなものなので、コロンブスが乗って来た大きな船が何か全く分からないので、意識から消えてしまったのだ。
自分とは「自分の考え」であるとも言えるので、自分が考える船でなければ、それは自分にとっては船ではないのである。
そして、終局的に言えることは、自分と世界は同一であり、異なるものではないということだ。
我々が見ている世界は、自分そのものだ。
自分が知らないことは世界の中に存在しない。
丁夢がそのようであると言えば納得し易いかもしれないが、現実世界も何ら変わらないのである。
だが、人間の心には想像力がある。
想像力の正体が、深い心に隠された何かなのか、あるいは、神からのメッセージなのかは分からないが、心は新しいものを生み出すのである。
そして、心が生み出したものが外界に現れる。
逆に言えば、心が生み出さない限り、何も外界に現れない。
心は放置すると、悪魔でも入り込むのか、悪いことを考えて、悪いものを作り出すものだ。
そこで、意思で心を使い、好ましいものを作らなければならない。
そのために、良いイメージを思い浮かべるのが、上級の人のやり方だが、現代の人類のほとんどは、それが出来なくなっている。
だが、言葉なら使えるので、例えば、「私は美人だ」と言い続ければ美人になるのである。
けれども、絶えず「私は美人だ」と言わないと、悪魔は、「お前は醜い」という考えを送り続け、40歳にもなればオバサンになってしまう。
ところが、悪魔の声より多く「私は美人だ」と言えば、80歳程度でオバサンになったりはしない。
そんな例が、トラインの超ロングセラー『人生の扉をひらく「万能の鍵」』にある。
しかし、「私は美人だ」「私は健康だ」「私は裕福だ」と、個々のことをいちいち言っていては面倒で仕方がないので、「全て良くなる」と言うのが賢いのである。
そして、大きく状況を改善したければ、いつも言うが、「神様の奇跡が起こる」と唱え続けるのも素晴らしい手である。
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心や意識の謎、脳科学はここまで近づいた|NIKKEI STYLE
https://style.nikkei.com/article/DGXZZO21920610V01C17A0000000/
また、ATRでは、脳の中の情報を読み取りながら、外部環境から何らかの刺激を与えて、感じていることや記憶していることを好ましい方向に導く研究にも取り組んでいます。「デコーディッド ニューロフィードバック(DecNef)」と呼ぶ技術です。子どもを褒めたり叱ったりしながら、しつけるのと同様のことを、脳に対して直接行うものです。fMRIを使って脳内の状態をリアルタイムで測り、好ましい状態になったときに、すかさず被験者が喜ぶ報酬を出します。こうした学習を繰り返すことで、本人が気づかないうちに好ましい脳内の状態が定着します。(引用ここまで)