アファーメーション(肯定的断言)を選ぶための1つのヒントを述べよう。

O(オー)リングテストというものをご存じの人も多いと思う。
例えば、右手の親指と人差し指(中指を使う人もいる)で輪(これがOリングのこと)を作り、左手に身体に良い食品を持つと、誰かが、その指のOリングを外そうとしてもなかなか外れないが、左手に身体に悪い食品を持つと、Oリングが簡単にほどけるというものだ。
いろんなテストのやり方があり、Oリングではなく、片腕を前に伸ばし、その腕を、別の人が押し下げる時の抵抗力でテストを行うというものもある。

Oリングテストでは、被験者(指のOリングを作る人)が、Oリングを作った手とは反対の手に持っている物が何か知らなくても、良いものなら、Oリングは固く閉じて開かず、悪いものであれば、Oリングに力がなく簡単に開くそうだ。
例えば、反対の手に聖書を持った場合と、成人漫画を持った場合、あるいは、聖者の写真と猥褻なヌード写真とかで、Oリングの固さが全く違うようである。
あるいは、こんな使い方もある。
新人アイドルの写真とか名前を書いた紙を左手に持ち、右手でOリングテストをすると、Oリングが開かない場合には、その新人アイドルは売れるが、Oリングが弱い場合には、売れずにすぐ引退するといったものだ。

1人Oリングテストというものもあって、パートナーがいなくても出来るようだ。
ところで、合氣道家の藤平光一氏は、Oリングが固く閉じた状態では、「氣」が出ていると言い、氣が出ていれば、何をやってもうまくいく。
例えば、藤平氏は、戦場で氣を出していたら、銃弾が飛び交う中でも弾は当たらないので、悠然と歩いたそうだ。
あるいは、アメリカでデモンストレーションでやったことらしいが、氣を出していれば、小指1本で、大の男数人と押し合いをしても勝ったと言う。
では、どうやれば氣が出るのだろうか?
それは、上記でもあったように、聖書のような貴い本を持っていたり、聖人の写真を持つことが考えられる。
しかし、良いアファーメーションをすれば、自ずと氣が出て、健康になり、運が良くなり、何事もうまくいく。

ところで、藤平氏は、「真実の言葉を言えば氣が出る」と言い、例えば、「重みは下にある」という、単純な真理でも良いのだそうだ。
では、最大の真理とは何だろう?
インドの聖者、ニサルガダッタ・マハラジが言うには、それは、「私は在る」である。
いかなることでも疑えるが、「私は在る」ことだけは疑うことが出来ない。
逆に言えば、我々が確信出来る唯一のことは「私は在る」だけである。
だから、この言葉が究極の真理なのである。
デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」と言ったが、イギリスの作家コリン・ウィルソンは「思おうが思うまいが私はある」と反駁した。
論旨を考える必要はあるが、ある意味、その通りかもしれない。
私も、「私は在る」と唱えていたら、身体がふわーっと軽く感じたことがある。
きっと、かなり氣が出ていたのだろう。

ならば、自分の好きな単純な真理の言葉をアファーメーションとし、氣を出すという手もありだろう。
「生命は大切だ」とか「地球は回っている」とか「私は何でも出来る」とか「ミクさんは可愛いとか」(笑)。
そして、良いと思うなら、先程の究極の真理「私は在る」を唱えれば、万事うまくいくかもしれない。
もう1つ、究極の真理を挙げよう。
それは、『ヒマラヤ聖者の生活探求』5巻で、イギリスのF.L.ロースンなる人物が使った言葉、
「神の他には何もない、只神あるのみ」
だ。
参考までに述べると、原書では、この言葉は、
「There is nothing but God」
であった。
これから言えば、「神の他に何もない」だけでも良いと思う。
もちろん、いつも述べる、「神様の奇跡が起こる」も、氣が出まくる言葉であるに違いない。

尚、Oリングテストのような生体反応テストの究極的なものについては『パワーかフォースか』(デヴィッド・R・ホーキンズ著。ナチュラルスピリット刊)が面白いと思う。








  
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