日本では、退屈な人が多いのではないかと思う。
子供でも、学生でも、若い人でも老人でも。
駄目な人間ほど、退屈な時間が多いことは、自分の経験で分かる(笑)。
私は、特に昔は、死ぬほど退屈だった(どんだけ駄目だったんやw)。

ところで、今は、暇つぶし出来るものが沢山ある。
代表的なものがスマホで、電車の中などで、大半の人がずっとスマホを退屈そうな顔で見ているのは、それがやはり退屈しのぎでしかないからだ。
他にも、ゲームや、テレビのバラエティ番組、面白いだけのテレビドラマ等があり、自分では「別に退屈なんかしていない」と思っているかもしれないが、全身の血が燃え上がるほど・・・でないことはもちろん、本当に楽しかったり、ワクワクしている訳ではない。
そして、我々庶民を、そんな状態にすることは、計画されたことであり、「与えられた娯楽」で慰められるのが「庶民」という家畜、あるいは、奴隷なのである。
生き甲斐のある人間は奴隷にならないからね。

だが、もう心配無用だ。
我々は、退屈な時間を楽しめるようになり、さらに、退屈ではなく、充実した「自由時間」や「冒険」、あるいは、「貴族的な暇な時間」を過ごせるようになった。
時間があるなら、アファーメーション(肯定的断言)をすれば良いのである。
呼び方は、アファーメーションでも、自己暗示でも、あるいは、呪文、つぶやき、祈り・・・なんと呼んでも構わない。
肯定的な言葉を、ゆっくり、静かに繰り返すことは楽しく、しかも、現実は唱えた通りに変わるのであるから、これほど嬉しく、面白いことはない。
これこそが、本質的には神である人間の仕事と言っても良いと思う。
世界は、心が作り出したホログラム(3次元映像)であり、思い通りになるのが人生である。

食傷気味になりながらSNSを見たり(本当に必要な時に見るのは楽しいだろう)、「あのアニメでも見るか」「ゲームの続きでもするか」「スイーツを食べるしかないな」といった、「デモシカ」な行為をするのではなく、「よし、世界を作る仕事をしよう」と、偽りの興奮とは全く違う、やすらぎやのどかさといった、真に好ましい感情を伴いながらアファーメーションを行うのである。
確かに、最初のうちは、それほど楽しいこととは思わないかもしれないが、やっていれば、不思議な満足感を得ることになる。

まずは、自分の幸福を優先したって構わない。
これまで何度も書いたが、「富」、あるいは、「成功」、あるいは、「富、成功」、あるいは、「歓喜、成功、富」といった言葉を、ゆっくり、静かに、反復する。声に出しても良いし、心の中で唱えても良い。
あるいは、ホームレスが1憶円を2回得た有名なつぶやき、「神様の奇跡が起こる」を唱えると、何が起こるか楽しみだ(七田眞著『奇跡の超「右脳」開運術』より)。
一休さんの遺言、「心配するな。なんとかなる」という言葉を繰り返すと、不安が消え、不思議な解決を見ることになるだろう。
あるいは、凛々しく、「わたしは、あらゆることができるスーパーマンだ」と、四六時中唱えていれば、そのようになる。

『ヒマラヤ聖者の生活探求』では、数千年前に建てられた廟(神社やお寺のようなもの)が、昨日建てられたように新しいのは、その中で、「生命、愛、平和」という言葉しか使われないからであるという。
この言葉には神的なエネルギーがあり、我々も、この言葉を数多く唱えることで得られる恩恵は計り知れない。

「20世紀最大の詩人」とも言われる、アイルランドのノーベル賞作家である、劇作家・詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツの自伝的小説『まだらの鳥』に、こんな場面がある。
イェイツ自身を投影した青年マイケルが船の甲板にいると、海の上に精霊の少女が現れた。
その時、空気は澄み切り、彼女の服のひだの1つ1つがくっきり見えた。
彼女はマイケルに、少し咎めるように言う。
「あなたはいつ仕事を始めるのですか?」
マイケルは我々一人一人である。
では、我々は、新しい世界を作る仕事を始めようではないか?








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ