我々は、幼い頃から、何かに頼るよう仕向けられた。
まずは親に頼り、次に学校の先生に頼り、やがて、会社や国家に頼るようになる。
だが、思想家とか哲学者と言うよりも、啓蒙家としてナンバー・ワンである、アメリカのラルフ・ウォルドー・エマーソンは、『自己信頼』という名著により、「自分を信じろ」と力説した。
自分を、徹底的に、盲目的に信頼しろと。
例えば、有名な絵画があったとする。
その絵画を、偉い人や新聞や大衆がどう褒めるかはどうでも良い。
あなたが、その絵をどう評価するかが何より大切なのだ。世界中があなたの評価を待っているのだ。
あなたには、それほどの価値があるのだ・・・・といったことを、エマーソンは言っているのである。
あるいは、エマーソンは、こんな話を好んだ。
乞食が酔っぱらって寝ている間に、公爵の家に運ばれ、豪華な服を着せられ、豪華なベッドで寝かされる。
目が覚めると、乞食は驚くが、召使い達がうやうやしく世話をしてくれるし、どんな偉い人もあなたに丁重に接してくる。
これまで、自分は乞食だと誤解していたかもしれないが、この公爵家の令息、または、令嬢こそあなたである。
あなたには、凄い値打ちがあるので、誰にも頼る必要はないのだ。

そのようなことが書かれた『自己信頼』は人類の宝と言えるほどの名著であるが、かなり不親切な本かもしれない。
だが、不親切なだけで、書いてあることは真実なのだ。
あなたには途方もない価値があり、力もあるので、誰にも頼る必要はなく、自分を頼れば良い。
けれども、ほとんどの人は、こう言うだろう。
「そんなこと言われたって、私は大したものではなく、弱いので、親や、先生や、会社や、国家に頼るしかないじゃないか」
しかし、エマーソンは、「そんなこと言っちゃ駄目だ。とにかく自分を信じるんだ」と言うのだ。
そして、それが正しいことは、誰もが、薄々とは分かっているのだ。
特に、学校やマスコミに洗脳されていない子供なら、すっと納得するだろう。

だが、どういう訳か、エマーソンは、自分を信じ切ることが出来れば、魔法使いになれるといったことは言わなかった。
彼にとっては、それは当たり前過ぎたのかもしれない。
そこで、エマーソンの後の人達である、クラウド・ブリストルや、ノーマン・ヴィンセント・ピール、ジョセフ・マーフィーといった人達が、エマーソンは正しいが、その教えは、普通の人にはハードルが高過ぎるので、もっと親切な教えを説き、人気を得た。
その中で、ピールは、「神があなたの味方で、いつでも面倒を見てくれる」と言い、ブリストルやマーフィーは、「神の力と言うべきものがあなたの中にあり、本来は、それを自由に使えるのだ」と教えたのだ。
それで、ピールは、神の力の求め方を、ブリストルやマーフィーは、自分の内にある無限の力の使い方を教えたのである。

だが、つまるところは、ピールと、ブリストルやマーフィーの教えに違いはない。
そして、自分で神の力と言うべき無敵の力を自在に使えるのだから、何にも頼る必要はない。
ではなぜ、誰もそう思っていないのかというと、国が国民を奴隷にするには、国民が、「そんな本当のこと」を知っては困るからだ。
国民は、自分が弱くて何かに頼らないといけないと心の底から思うように、幼い頃から洗脳してきたのである。
だが、本来の国は、魔法使いどうしが、単に楽しいから誰かが作物を作り、誰かがそれを運び、誰かが料理し、誰かが工事をし、単に便利だから、話し合ってルールを作り、そのルールを皆で守るだけなのだ。
人それぞれ、向き不向きがあるので、働くのが嫌いな人もいるが、それならそれで構わない。その人なりの出来ることをやれば良いし、何か出来ることが必ずある。
一見、何もやっていないように見てる者ほど重要なことをしているのかもしれない。
だから、「この人は何をやっているのか」が分からなくても、誰も文句を言わない。
仮に、本当に何もしていなくても、そんなことはどうでも良い。自分は自分がやっていることが楽しいのだから。

まあ、そんな理想社会に到達しなくても、自分の中に無限の力があるのだから、それを使えば、当面、問題ない。
今後は、国家は頼りにならず、頼っていたら酷い目に遭う。
幸い、ピールも、ブリストルも、マーフィーも、全く正しいことを教えているので、彼らの教えを命がけで学び、内なる神の力を使うようにすれば良いだけだ。だが、そうでないと、悲惨なことになりかねないのだ。








  
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