眠っている時に夢を見ていて怖いと思う理由は2つである。
(1)これが夢であると分からないから。だから、自分が海の上を漂っていたり、ジャングルの中を無防備に歩いているように感じるのである。
(2)これが夢であると薄々は感じていても、この夢の世界をコントロール出来ないと思っているから。
逆に、言えば、こうであれば、夢は恐くない。
即ち、
(1)これが夢だと分かっている。
(2)夢をコントロール出来ると感じている。
なら、夢は怖ろしいものではないのだ。

なんで夢の話をするかというと、現実も夢と同じだからだ。
つまり、現実も夢と同じで、いい加減と言うか、曖昧と言うか・・・もっと適切な言い方をするなら、自由だ。
だが、「現実がのしかかる」と言うように、現実は、重く、確固たるものだと思っている人が多いと思う。
けれども、現実も夢と同じなので、気楽に生きるためのポイントは、夢と同じと考えると良い。
即ち、
(1)現実も夢のようなものであると感じている。
(2)現実をコントロール出来ると感じている。
であれば良い。
普通の人は、両方難しい、
いや、両方難しいと言うより、この2つはセットである。
そして、夢とほんの少し違うのは、夢は自分でコントロール出来るが、現実をコントロールするには神だということだ。
だから、神との一体感がなければ、現実が怖いのである。
だが、本来は、神と人間は一体なのであり、特に、昔の日本人はそう感じていた。少なくとも、神を身近に感じていたのだ。

神との一体感があれば、自分が現実を動かしているのだから、何も怖くはない。
じゃあ、どうやって神との一体感を持てば良いかというと、それは、スーフィー(イスラム教神秘主義)の格言に、見事にまとめられている。
それは、
「神を信用しろ。だが、ラクダはつないでおけ」
だ。
ラクダというのは、心の象徴でる。
つないでおかないと、ふらふらとさ迷ってしまう。
ラクダをつないでおくことの意味である、心をつないでおくにはそうすれば良いか?
宗教的に言うなら、神の姿や名前に意識を集中すること。
つまり、神の姿をイメージしたり、神の名を唱えることだ。後者の方が簡単だ。念仏も、これと同じである。
宗教ではなく一般的な方法では、例えば、心からの願いのことを考えることだ。弁護士になるとか、一億円を作るとかだ。ただし、あくまで心からの、それなりに志のある願いであることが必要だ。
それを、いつでも考えることだ。
別の方法は、呼吸を制御するか、呼吸に意識を集中するかだ。好きな方でやれば良いが、呼吸を制御する場合は、「少し大きく吸い、いったん止め、細く長く吐く」のがベストであるが、憶え難いなら、とにかく、静かで、少ない数の呼吸をすることだ。1分に1回なら非常に良いが、無理をしてはならず、徐々に少なくしていけば良い。
これらのようにして、ラクダのようなものである心を静かにすれば、夢は楽々コントロール出来るようになり、現実の方も、支配力を増し、やがては、やはり簡単にコントロール出来るようになる。








  
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