「紙に願い事を書いたら忘れる。ずっと後で紙を見たら全部叶っている」
と言う人もいれば、願い事を書いた紙を、壁に貼ったり、持ち歩いたりして、なるべく多く見れば叶うと言う人がいる。
「忘れる派」と「ずっと思う派」である。
どちらでやれば良いのか、私も長年悩んだ。

「忘れる派」は、簡単に潜在意識に願いを届けられる人で、芸術家等、感性の発達した人に多い。
天才肌とも言えるが、子供のような人であるとも言える。
ただ、凡人の場合でも、宗教的儀式を伴えば、これを非常にうまくやれる場合がある。

「ずっと思う派」は、凡人向きで、こちらを教える指導者が多い。
「思う」だけでなく、「やる」という行動を伴った方が簡単で、それ(行動を伴うもの)を教える人もいる。
法然は、1日中、念仏を唱えよと教えた。
岡田虎二郎は、1日中、静坐をしろ、あるいは、1日中、腹に力を込めよと教えた。
中村天風は、1日中、肛門を締めよと教えた。
黒住宗忠は、1日中、「ありがたい」と唱えよと教えたことがあった。
イエスだって、なるべく多く祈れと教えたのだと思う。
野球のメジャー・リーガーで、「最後の4割打者」と言われたテッド・ウィリアムズは、子供の時から、起きている時間の全てをバッティングの練習に捧げた。

「忘れる派」と「ずっと思う派」をうまく統合したのが、ジョセフ・マーフィーだった。
眠りにつく前と、朝、起きたばかりの時に、願いを言葉にして、潜在意識に送り込むのだ。
ただ、実際のところ、これはやり忘れることがよくある。

私は、「ずっと思う派」をお薦めする。
凡人向きだからだ。
私も今はこちらである(子供の時は「忘れる派」でも楽々うまくやれた)。
ただし、これは楽しくないといけない。
『ザ・シークレット』の本やDVDに、こんな話がある。
ある作家は、年収が100万円ほどしかなかったので、1000万円にしたかった。
そこで、1000万円札(アメリカ人なので、本当は10万ドル札だが)を作って天井に貼った。
あるいは、ある事業家は、自分の欲しいものの絵や写真を、「ビジョン・ボード」と名付けた板に貼り、いつでも見れるようにした。
ジョセフ・マーフィーや、ノーマン・ヴィンセント・ピールらの、数多くの超一流の引き寄せ関連の本を翻訳した桑名一央氏は、自らも引き寄せの本を書いていて、その中で、面白い方法を紹介している。
願い事を携帯に便利なカードに書いて持ち歩き、暇があれば、そのカードを取り出して見るのである。
ただ、それをうっかり人に見られたら、いろいろまずいので、見られても分からないように、略語で書くことを薦めている。
今で言えば、DAIGOさんの「DAI語」だ。例えば、「ふるさと大事」が「FD」となるというものだ。
「赤いポルシェ」が欲しければ「RP」あるいは「AP」といった感じであろうか。
自分が分かれば良いのであり、「1千万円」を「ISME」と書こうが「1SME」と書こうが構わない。
それが本当に欲しければ、カードを見るのが楽しいはずだ。
もちろん、今の時代なので、スマートフォンのメモ帳アプリを使ったり、どうせなら、しっかりした文字になるよう、ワープロソフトやグラフィックソフトを使うなどをしても良いが、経験上、凝り出すとキリがないし、目標が変わることもあるので(作り直しに手間がかかる)、やはり、メモ帳アプリが良いかもしれない。

尚、「忘れる派」が合っていると思う人は、目標を紙に書いて、机の引き出しの奥や、鍵付き宝箱にでもしまっておくと良いと思う。
まあ、ベルベル・モーアのように、願ったことすら忘れても叶う人がいるので、やり方はいろいろだろう。








  
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