長谷敏司さんの『BEATLESS(ビートレス)』(2012)は、2105年を部隊にしたSF小説で、人間と見分けが付かないアンドロイドがそこらに居て、人間の代わりに働いている。
この小説のタイトル『BEATLESS』は、「ビート(鼓動)がない」という意味だが、これは、深い意味では「心がない」「魂がない」ということで、アンドロイドについて言っているのである。
ヒロインである、美少女・・・というか、18歳くらいの目の醒めるような美しい(顔も身体も)女性型アンドロイドのレイシアが、こんなことを言うのが印象的だった。
「私には魂はありません。私はただ、相手が快適に感じるような反応を返しているだけ」
この「相手が快適に感じる反応を返す」というのは、人間においても、極めて重要なことだ。
これが出来る人間を「賢い」「頭が良い」というのであると言って過言ではないと思う。

誰かの発言について、
「なんでそんなものの言い方をするかな」
「それは言い過ぎだろ」
「キツいな」
と言いたいことがあると思う。
発言でなくても、態度でも、こんなことを感じさせられることがあるだろう。
相手のことが嫌いで、わざとやっている場合もあるだろう。
ところが、言っている(あるいはやっている)本人には悪意がないのに、言われている者は、上のように感じるほど不快だということがよくある。
若くて、口の利き方をわきまえていない未熟な人に多いが、中年、さらには、老人の中にも少なくはない。
それは、若いから良いということでもない。
それどころか、子供のうちから、相手を嫌な気分にさせるようなものの言い方をしないよう、しつけておくことは非常に大切である。
それで人生が大きく変わってしまうかもしれない・・・じゃなく、確実に変わるからだ。

上で、相手のことが嫌いで、わざと気分を悪くさせる言動をすることについて少し言ったが、そんなことは、子供でもやってはいけない。
ところが、いい大人なのに平然と、あるいは、積極的にやっている者がいるが、そんな者を正しく「馬鹿」と言うのである。
ハーバード大を出ていようが、博士だろうが、そんな者は頭の悪い馬鹿なのである。

確かに、相手が快適に感じるように振舞うことは難しい。
同じことを言っても、相手によって、楽しく感じたり、嫌な気分になったりする場合もある。
そんなことに気を使うことは、とても面倒であるかもしれない。
しかし、その努力を放棄してはならないし、その技術は大いに高めておかなければならない。
でないと、幸福になることは決して出来ない。
確かに、「口は悪いがいいやつだ」と言われる人もいる。
だが、それで通用するのは、よほどの美点がある場合だ。だが、たとえそう(極めて優れたところがある)であっても、良い言動を身に付けておくべきである。

ものの言い方や態度は、本当に難しい問題である。
だが、子供のうちに、本当に優れたものの言い方や振る舞いの仕方を教えてもらえた者は幸福である。
それは、人生に対して、ゲームで言えば大きなマジックポイント(魔力)を与えられたようなものである。
逆に、これをあまりに身に付けられなかった者は、人生に対するハンディキャップを抱えているとすら言える。

失礼ながら、よく見るのが、女性によく見られる、こんなものだ。
「それ、若くて可愛い子がやれば良いのだろうが・・・」
さらに、若くて可愛い子でも良くはないが、許してもらえるというものもある。ただし、この場合は、許す相手には下心がある場合が大半なので、危険なのでやるべきでない。
昔は、若くて可愛かった・・・というより、大抵の女性は若いうちは、それなりに可愛いものなので、いつまでも若い気でいるという場合もあるのだろう。
それと、親にとっては(特に娘に対する父親)、ぱっとしない子でも物凄く可愛いので、自分が何を言っても、しても、親が喜ぶのを見て、(自分はかなり可愛いと)勘違いしてしまったという場合もあるだろうが、そんな勘違いを持っていることは、世の中では「馬鹿」なのである。
若いが、可愛くもない女の子が、やたら目の前できゃっきゃと騒いで見せることがあるが、「それで喜ぶのはお前のとーちゃんだけだ。ウザいよ」ということも多いのである。

YouTuberになりたい若い人や子供が多いと聞く。
だが、人気YouTuberになりたいなら、まず、沢山の視聴者が快適に感じる言動が出来なければならないのである。
全視聴者を快適に感じさせることが不可能だが、快適に感じてもらえる割合が出来るだけ多く、不快に感じさせる割合が出来るだけ小さくなるような言動をしなければならない。
よほどの超人的パフォーマンスを持っている場合は別かもしれない。
しかし、そんな(超人的パフォーマンスを持つ)人でも、長く売れている人は言動に最大の注意を払っているものである。
YouTubeでは、最初の数秒で、視聴者を不快に感じさせたら、もう見てもらえないのである。

これは私の個人的感性かもしれないが、YouTubeの開始直後、登場人物が「イェーイ!!ヒューヒュー!!」と言って騒いでいると、私ならすぐ「戻る」ボタンをクリックする。
あるいは、ジャーナリストで、良い話もしそうだが、焼酎をついで飲むところから始める中年男性YouTuberがいるが、私なら、その品性に不快に感じるので見ない。
あえば浩明さんという政治評論家のYouTuberが居て、彼は、トランプ大統領とのツーショット写真も沢山ある凄い人だが、言葉遣いや立ち居振る舞いも立派で、50歳も過ぎているのにイケメンだ。
この人は、相手に与える印象の大切さを、非常に理解していることを感じさせる。
ところが、彼は、YouTube番組の開始直後、「こんにちは!」と言いながら、敬礼のようなポーズから、その手を前にぐっと押し出す挨拶をする。
私は、その挨拶が物凄く嫌いで、内容が良いので大抵は見るが、気が滅入っている時などは、そこで視聴をやめてしまう。
私のように感じる人もいるのではないかと思う。

言葉や振る舞いについて、クドクド言ってしまった。
その理由は、私が、賢い言動が全く出来ない馬鹿であったからだ。
いや、今もそうなのだろうが、それで何度も頭を打ち、そのデメリットを痛感するに至って、やっと注意を始めたのであるが、どう言っても遅過ぎた。
本来なら、10歳までには身に付けておくべき言動の基本がなってないのである。
そのことに、実はかなり愕然としているのである。
これで引き寄せが出来なかったら、社会の最底辺にも置いてもらえたかどうか疑問だ。
だが、引き寄せが上手くても、損しまくりの人生である。
私のような愚かな失敗はしないよう願う。








  
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