能力を高めるための原則がある。
それは、学校やマスコミから教わらなかったことで、ほとんどの場合は、親からも教わっていない。
能力を高めるとは、「秘められた力を引き出す」ことだ。
例えば、100メートルを18秒かけないと走れなかった人が、訓練して14秒で走れるようになるとは、「14秒で走ることが出来る秘められた力を引き出した」のである。
秘められた力のことを「潜在力」と言っても良い。
人間には、実に沢山の潜在力がある。
そして、面白いのは、1つの潜在力を引き出せば、自動的に、他の潜在力も引き出されることだ。
例えば、握力を鍛えて、20kgだったのが30kgになったら、腕や肩といった手に近い部分だけでなく、腹筋や背筋、さらには、脚の筋肉だって、いくらかは強くなるし、さらには、筋肉以外の力も引き出される。
勉強でも、何か1つの科目で優秀になれば、他の科目も出来るようになる。

ただし、握力とか、腕力を鍛える時、鍛える手や腕以外を固定してしまうと、他の部分の力がつかず、鍛えた部分と鍛えなかった部分の断絶が起こり、故障が起こる場合がある。
歴史の勉強を熱心にやって、歴史は百点なのに、「私は数学は嫌いだ」と思っていると、国語と数学の間に断裂が生じ、全体のバランスが悪くなって、思考力も歪んでしまうかもしれない。
握力を鍛えつつ、腕や脚が自然に動くままにすれば良い。
例えば、握力を鍛えるために、野球ボールを握ると、自然、特に腹に力が入るだろうし、腕や脚にも力が入るものである。
筋肉も、神経も、全身がつながっているのである。
「僕は数学だけでいい。文学は不要だ」とか、「僕は握力だけでいい。脚は鍛えなくていいんだ」という、おかしな考えは持たないことである。

運動をする機会がないという人に、ぐーぱー運動といって、手を握る開くを繰り返す運動を薦めることがある。
それだけやっていれば、不思議なことに、全身のスタイルが良くなる。つまり、全身がそれなりに鍛えられるのだ。
あるいは、野球やテニスのボールを持ち歩いて、それを握って鍛えるのも良い。
握力を鍛える器具があり、それで調子良くやれるなら使えば良いが、私は、軟式の野球ボールが一番具合が良かった。
また、頭の中で、出来るだけ早く数を数えることを何度も繰り返しやれば、思考スピードが上がる。計測すると、数える速さも、やればやるほど速くなって驚くだろう。

本を読むことも、潜在力を引き出す訓練である。
歴史に残るある偉大な人物は、貧しい家に育ち、家にあった本は聖書だけだったが、それを繰り返し読むことで、聖書自体の素晴らしさもあっただろうが、やはり多く読むことで精神的な力が鍛えられて、生涯使える知恵を得たのだと思う。
面白いことに、アメリカ最高の精神科医、ミルトン・エリクソンは、育った家に、聖書と辞書しかなかったが、なぜか彼は辞書を選んで、それを繰り返し読んだことが非常に良かったと述べていた。
ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』という本を、暗記するまで読み込んでいた人は、引き寄せ力が総合的に磨かれたのだと思うが、彼は、その気になれば、いつでもギャンブルで儲けることが出来るようだ。ただし、彼は「欲張らない美徳」を持ち合わせているが、それは引き寄せの高度な技術であり、それも、『あなたも金持ちになれる』を熱心に読んだことで身に付いたことだと思う。つまり、この1冊で鍛えることで、何をやってもうまくいく能力を得たに違いない。

アインシュタインは「物理学が趣味だったので、ずっと続けてきました」と言ったそうだ。
つまり、自分が好きなことをすれば良い。
人間は、
「私は大したことは何もしてこなかったが、これだけは自分に合っていたので、ずっと続けています」
というものがあれば良いのだと思う。
ただ、それだけ言うと、本当につまらないことをやるという馬鹿がいて、うんざりさせられることがある。
一生を決めるものだ。
少しはマシなことをやるべきである。








  
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