「普通の人」とは何だろう?
それは、国家が宣伝する思想と80%以上合致する価値観を持つ人間である。
一方、そんな「普通の人」と少なくとも同程度には道徳観を持ってはいるが、国家が推奨する価値観に強い違和感を感じている者を「アウトサイダー」と呼ぶ。
「アウトサイダー」のことを、精神的に病んだ人間のように捉えるイメージがあるとすれば、それは国家によって捏造されたものである。
アウトサイダーという言葉そのものは、単に、「部外者」とか「組織や集団の外の人」という意味である。
ここでは、「国家が作った価値観を信じる人々の集団」の外に居るという意味で、「アウトサイダー」と言うことにする。

これまでは、日本では「普通の人」になれば、一生、安楽に過ごせた。
動物園の動物や、家畜に例えれば分かり易いと思う。
一方、「アウトサイダー」とは、動物園や家畜小屋から逃げた動物や家畜であるから、自分で餌を得なければならない。
「アウトサイダー」は、嫌われる反面、格好良いところがあるので、動物園や家畜小屋で飼われている身分でありながら、「俺の本性は野生動物だ」と、「アウトサイダー」を気取る者はよくいるが、そんな偽「アウトサイダー」は非常に滑稽であることはご存じと思う。

ところが、世の中で、「普通の人」の待遇が、どんどん悪くなり、今後はもっと悪くなる。
悪くなるどころか、奴隷と変わらなくなる(現状程度で奴隷だと思ったら大間違いだ)。
では、「アウトサイダー」はどうなるかというと、これまでは、ある程度「必要悪」と見なされ、放置されてきたが、これからは抹殺される危険が高い。

そこで、大事なことは、自分が「普通の人」か、「アウトサイダー」かをはっきりさせないといけなくなることだ。
いや、問題になるのは、「アウトサイダー」でいたいと思いながら、楽だからと「普通の人」になっている人だ。
もう、「普通の人」も「アウトサイダー」と同じレベルの待遇になるので、それなら正直に「アウトサイダー」になった方が良い。
喩えて言えば、動物園で飼われている動物の餌が、どんどん悪く少なくなり、環境も悪くなり、暴力的に扱われるので、動物園の外でコソコソ生きている野生動物の方がマシかもしれないのだ。

言ってみれば、皆、「アウトサイダー」になれば良いが、それは、長く「普通の人」であった者には、ほとんど不可能だろう。
では、その気のある者だけ「アウトサイダー」になれば良い。
だが、コリン・ウィルソンが若い時に書いた世界的なロングセラーである『アウトサイダー』に登場するような、病的な「アウトサイダー」であってはならない。
ウィルソンも、健康な「アウトサイダー」については考えていたが、実現方法があまり分からなかった。
ただ、その鍵が「至高体験」であることは、だいたい分かっていた。
「至高体験」とは、簡単に言えば、悟りのようなものだ。
多くの人が誤解しているのは、悟りを開いたら、ずっと悟りの状態にいると思っていることだ。
そんな人間、狂人以外の何者でもない。
悟りは、一瞬、その状態になれば、普通の状態に戻っても、数時間から数日以上は、その人間に影響を与え、「強力になる」。
この「強力になる」を説明する適切な言葉は本当はないが、現象としては、「神の力を得た」とか「幸運に恵まれた」といったことになる。

瞬間の悟りを得るにはどうすれば良いかというと、言えることは、秘密の方法などというものはなく、誰でも簡単に出来るということだ。
例えば、「息を吸って止め、そして、ゆっくり吐く」だけでも良い。
これであれば、1日20~60分で1年くらいで出来るようになり、幸運になる。
これを、「そんな大変なこと出来ない。もっと楽で即効のあるものでないとやらない」と言うのは「普通の人」なので、別にやらなくて良い。
他にも、やり方は無限にある。
それこそ、好きなことを一生懸命やるなど、充実したことをやればいいだけだ。
要は、無我、忘我、没我になれば良いのである。
そのための方法は、調べれば沢山見つけるし、このブログでも散々書いてきたと思う。
ただし、悟りにつながる良いことは黙ってやるように。
普通の人には理解されず、いろんな意味で邪魔されることもあるし、権力者に見つかったら、まずいことになりかねない。








  
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