ひょっとしたら、ご存じの方がいるかもしれないが、私は駄目な人間に非常に強い興味がある。
「なぜ、ここまで駄目なんだろう」と驚嘆するくらい駄目なやつだ。
そんな者が、日の目を見ることがあるのだろうか?
そうあって欲しいと強く願う。
まあ、私ほど駄目なやつはいないからだが(笑)。

しかし、『サンドリヨン(シンデレラ。灰かぶり)』を読むと、私くらい駄目でも、それなりに良い思いが出来るようになる。
そんなの、読んだことくらいあるって?
いや、問題なのは、熱心に読んだかどうかだ。
私はいまだ、これを、涙なくしては読めない。
長い間、蹂躙され続けた少女が大逆転するのだ。
これほど良いお話があろうか?

『サンドリヨン』は、ペロー版とグリム版がよく知られているが、多くの日本人が知っている、かぼちゃの馬車と、ネズミが変身した馬、そして、ガラスの靴はペロー版の方にだけある話だ。
グリム版では、初版では、不意に馬車が現れるが、サンドリヨンが歩いてお城に行くお話もある。それに、グリム版では、サンドリヨンの靴は、1日目が銀で、2日目が金だ。
しかし、もっと重要な違いがある。
共に、サンドリヨンは幼い時に母親を亡くしている。
しかし、ペロー版では、サンドリヨンは、仙女(仙人の女性)に育てられたが、グリム版ではそれがない。

私は、ペロー版、グリム版、両方好きだが、少し、ペロー版が好きだ。
その理由は、次のようなことがある。
サンドリヨンが、自分を虐待した義姉達を許したばかりか、王子様と結婚して得た絶大な権力で姉達を幸福にするのはペロー版だけで、グリム版では、義姉達は、悪業の報いを受け、かなり悲惨なことになる。
特に、グリムは陰険なのか、自分が創作を加えた方は、義姉達を徹底的に不幸にする。そこまでやるかって感じだ(笑)。
そういえば、アンデルセンがグリムを訪ねた時、グリムはあまり良い対応をしなかったことを思い出す。
性格が悪いのかなあ(笑。実際悪かったという話もあるが、本当のことは分からない)。

さて、ペローの『サンドリヨン』の教訓は、女性は、心の優しさが何より大切だということになっている。
サンドリヨンは、義姉達を恨んではいなかった。
普段、自分をいじめている義姉達が舞踏会に行く時には、義姉達が綺麗になるよう、精いっぱい努力した。
そして、その素晴らしい性質を授けたのが、亡くなった母親の代わりにサンドリヨンを育てた仙女だった。
『サンドリヨン』のお話の最後にも、この仙女のように育ててくれる人がいることの大切さが書かれているものもある。
この仙女のような存在がいなかった者こそ、『サンドリヨン』を真面目に読むべきなのだ。
また、誰にも履けない小さなガラスの靴を、サンドリヨンだけが軽く履くことが出来たのだが、実は、足の大きさが、傲慢さや自惚れを表しているのである。
サンドリヨンは慎み深い、自我の薄い少女だった。
だから、王子様が自分に付きっ切りになっても、狂喜したり、自慢することもなかった。
それもまた、魔法発動の条件なのである。
『サンドリヨン』は、まさに、魔法の奥義書である。魔法とは、現代で言えば引き寄せである。

私は、ディズニーの、どう見てもオバさんのサンドリヨン(シンデレラ)が好きになれない。
あれはきっと、悪い宇宙人が、地球の子供達を洗脳するために作ったキャラだと思う(※あくまで私の主観だが)。
私が大好きな、天才イラストレーター・画家である、フランスのギュスターヴ・ドレが、サンドリヨンが小さな靴を履く場面のイラスト(版画)がある。
◆小さな靴を履くサンドリヨン ~Wikipedia「シンデレラ」より~
現代の萌え萌えの美少女画のようではないが、サンドリヨンが痩せていて、足が小さく、慎み深さがよく表れていると思う。

尚、日本でも、優しい心を持っているが不遇な境遇にある少女のお話としては、『落窪物語』や、中将姫の物語がある。
私が『落窪物語』で泣けたのは、「落窪(おちくぼ)姫」と蔑まれている、身なりは粗末だが美しい姫を見て、若くて格好良い貴族の青年がつい押し倒し、姫は泣くが、泣いた理由というのが、着ているものがみすぼらしくて惨めだったから・・・というところだ。まあ、育った境遇による独特の感覚とは思う。








  
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