我々は、自分が理不尽な目に遭うことを恐れている。
簡単な例で言えば、有力者に殴られたので警察に訴えたが、相手は有力者で警察の上部とつながっているので、警察に相手にされないばかりか、長い間粘り強く訴えたら、逆に自分が名誉棄損で訴えられ、こっちは即座に刑務所に送られた・・・みたいな話だ。

我々は、この世に正義があることを信じたいのである。
赤穂浪士の討ち入りの話が人気があるのも、そのためである。
理不尽に切腹させられた浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の仇を、臣下の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が取って、主君の無念を晴らすという話を信じたいのだ。
今回のアメリカ大統領選挙で、一般民衆の多くがトランプ大統領に味方するのは、もちろん、正義のためというのもあるが、トランプ大統領側の言い分が全く認められない理不尽に対する恐怖心があるのだと思う。

あまり壮大なお話ではなく、身近に感じられるお話の例として、こんな時代劇の話がある。
ある30代の武士は、主君に嫌われていて、毎日いじめられて辛い目に遭っていたが、家族のためにも耐えていた。
しかし、主君は、その武士の妻が気に入り、ついに連れ去ってしまう。
これまでの恨みも重なり、遂に武士もキレるが、田舎でもあり、訴えるところもないので、主君に直接、抗議文を送ったが、主君は、「それは謀反だ」として、「〇〇月〇〇日に取り押さえに行く」と通達した。
その武士には家来はいないので、自分と、年老いた父の二人が鎧を着て、主君の家来の数十名の精鋭を迎え撃つが、当然、一瞬で叩きのめされ連行され、拷問的な刑罰の末、処刑される。
いやあ、そんな目には遭いたくないものだ(笑)。

日本を代表する思想家であった吉本隆明氏は、学校の中にもある、正義が通用しない理不尽・・・例えば、教師によって理不尽な目に遭わされることについて、
「社会の理不尽は、学校や教師によるものとは比較にならない。だから、学校で鍛えておかないと社会でやっていけない」
として、教師を反面教師と捉えることを勧めていた。
まあ、それも一理あるが、私の個人的な考えでは、社会はまだ正義が通用するところがあるが、学校こそ、全く不法な悪の巣窟であると思う。

だが、いずれにせよ、邪悪な悪魔のなすがままにされてはならない。
そのためには力が必要だ。
敵はいつ攻撃をしかけてくるか分からない。
しかし、力があれば、「この程度はどうということはない」と涼しい顔をしつつ、致命傷を避けることが出来る。
では、どうすれば力が得られるかというと、そんなものはなくても、神様に守ってもらえば良い。
敵と同じ種類の力を持ち、その力で対抗したところで、必ずしも勝つとは限らないし、勝っても被害を受けるものだ。
だが、聖書には書かれている。
「神があなたの代わりに戦ってくれる」
と。
こう言うと、宗教的な妄想と言われるかもしれないが、厳しい状況にある者こそ、経験的に、これが確かと知っている。
リン・ウッド弁護士が、極めてヤバい状況で、聖書の言葉を盛んに引用するのも、そのためだ。
トランプ大統領の愛読書である、ノーマン・ヴィンセント・ピールの著書『積極的考え方の力』の最後に、「なぜ神の力を求めないのか?」と書かれている。
大統領が不屈であるのは、ピールに学んだことが大きいのであると思う。








  
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