目標を設定し、その実現に向かって奮闘する姿は素晴らしいかもしれないが、そうでないこともある。
つまり、目標にこだわって視野が狭くなったり、目標が餌のようなもので、その餌を必死に求める姿が浅ましかったり、あくせくし過ぎのように見えることが、世の中で非常に多いのである。
「それでも、目標がなく、何もしないよりマシではないのか?」
と言う人もいるだろうが、そんな「マシ」より、もちっとマシな「マシ」を取れば良いじゃないか?
人間なのだから。

鼻先にぶら下げられたニンジンを求めて突進する馬のようにならないための良い話がある。
受験、就職、結婚、出世・・・どれも心の持ち方次第では良い目標なのだが、これらが鼻先にぶら下げられたニンジンのようにしか見えない者が多過ぎる・・・いや、ほとんどがそうかもしれない。
だから、どれにも、あまり良いイメージがない。

ひろさちや氏の古い本『空海入門』にこんな話がある。
ちなみに、私は、ひろさんの数百冊の著書の中で、私が知る範囲でベストは、この本と思っている。
空海は803年、遣唐使の一員として中国に渡った。
中国に渡った・・・なんて簡単に言うが、当時の船で中国に行くのは、無事到着する方が珍しいという危険なことだったらしい。
実際、この時の遣唐使の数隻の船も、全部が無事中国に行けた訳ではなかったし、空海が乗った船も危うく海の藻屑となりかけ、目的地とはかなりズレての命からがらの到着だった。
そうなることは分かっているので、日本を出発した時、遣唐使達は不安や、さらに、恐怖を感じていたかもしれない。
しかし、ひろさちや氏は、空海は超然としていたと書いていた。
もちろん、本当のことが分かるはずがないが、そうでないといけないのだ。
船上の空海は、こう考えていた(とひろさんは思っていた)。
「次はインドにでも行こうか」
空海は、自分をブッダと見なしていた。
ブッダは人々を救うものだ。
そんな自分が中国に着くのは当たり前である。
「無事に着けるか?」などという馬鹿げた発想など全くない。あるはずがない。
これこそが、引き寄せの極意である。
空海には、引き寄せは出来て当たり前である。自分はブッダなのだから。

我々もそうだ。
なるほど、受験は1つの目標かもしれない。
しかし、それが最終目標になってしまっているから、愚かで格好悪くて惨めで浅はかで馬鹿なのである(ひどい言い方だなあw)。
まあ、私も大手予備校に仕事で関わったことがあり、内情をたっぷり見たのでリアルにそう思うのである。
大学など、入りたければ入って当たり前。入ってから何をするか考えれば、大学の方で「入ってくれ」と懇願してくる。
金持ちになりたいなんて下種な考えで、金持ちになったら、その財力で何をしたいのか?
それがさっぱり分からない者ばかりなので、金を欲しがる者達は餓鬼ばかりなのである。
ドナルド・トランプは、大統領に再選されるかどうかなど、全く心配していない。
邪な国に侵されたアメリカの闇を一掃し、アメリカを再び偉大な国にして地球に民主主義を確立させる英雄なのだから、再選されるのは当たり前過ぎて、目標でも何でもないのである。
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