WIRED誌創刊者ケヴィン・ケリーが60年もかかって悟ったこと、
「メンテナンスしないと質を維持出来ない」
は、全く科学的な真理だ。

機械は、油を差したり、緩んだネジを締めないと調子が悪くなる。
筋肉は、使わないと、弱くなる。

ところで、二宮尊徳(にのみやたかのり)が、ケヴィン・ケリーの悟りを、老子の「無為自然」の教え(荘子も同じ思想を持っていた)との、鮮明な対比で表現した。
「畑は、人間が手を入れないと(メンテナンスしないと)、荒れる(よって、無為自然は良くない)」
「家は、人間が手を入れないと(メンテナンスしないと)、あばら家になる(よって、無視自然は良くない)」

二宮尊徳は、「老子の言う無為自然なんてとんでもない。有為でもって自然に対抗せよ」と言ったのだ。
ただまあ、実際は、自然にしておくべきことと、メンテナンスしなければならないことがあるのだろう。
生態系は自然にしなければならないが、包丁は研がないと切れなくなる。

しかし、生態系は、なぜ、無為自然にしておけば良いのだろう?
生態系は、誰もメンテナンスしなくて良いし、むしろ、余計なことをしない方が良い・・・いや、してはならない。
これではざっくりし過ぎて「だから何?」って感じだが、子作りを考ええると分かり易い。
人間なんて、本来は、放っておいたら、適切に男女がくっついて、適切な数の子供が出来る。
だが、性欲を刺激すると儲かることに気付いた人が、過激にエロい製品を作り、結果、子供が出来過ぎたり、逆に、今の日本のように、男女がくっつかなくなり、子供がいなくなった。

つまり、生態系は、やはり無為自然であるべきなのだ。
そこで、こんな疑問が湧く。
「なぜ、生態系は無為自然で良いのか?」
つまり、何と、生態系は、メンテナンスの必要がないのだ。

つまりね、メンテナンスが必要なものは、死んでいる、あるいは、死に向かっているが、生きているものはメンテナンスが必要ないのだ。
人間の身体は、本来、放っておけば健康なのであるが、歳を取って、死が近付くにつれ、メンテナンスしないと調子が悪くなる。
若いと、運動しなくても身体が引き締まっているし、怪我をしてもすぐ治る。
しかし、歳を取ると、運動したり、食事の制限をしないと、太ってきたり、腹が出たりするし、怪我も治り難い。
むしろ、運動もしなければ、節制もしないのに、歳を取っても太らない人というのは、胃腸が弱かったり等、むしろ、不健康なのだ。

そして、考えていると、こんなことが分かる。
生命というものは、メンテナンスしなくても、質を維持する。
人間が、若いうちはメンテナンスしなくて良いのは、若い方が生命力が高いからだ。
初期の胎児なんて、身体をバラバラにしても、復元してしまうほど生命力が高い。

生命こそ、神の力の現れである。
そして、これはあまり知られていないが、生命力が高い子供ほど奇跡を起こし易い。
量子物理学者のフレッド・アラン・ウルフが、幼い時に、テレポーテーション(瞬間移動)をやったようにだ。

すると、大変なことに気付く。
イエス・キリストは、子供のように、生命力に溢れ、その生命力を他に与え、怪我や病気を治したり、死者を蘇らせた。
そして、彼は言ったのだ。
「幼い子供のようでなければ、天国に行けない」
彼がそう言うからには、我々も、生命力を蘇らせることが出来るはずだ。

さて、理屈はいいから、具体的手順を(笑)。
1つは、腕振り運動をして、気を体内に蓄積すること。それで生命力が高まる。
1つは、生命力の言葉である「生命、愛、平和」という言葉を常に唱えること。
1つは、イエスの話を聞くこと。これは、福音書を読むことだ。

時の有利さで、私は、二宮尊徳やケヴィン・ケリーを超え、老子やイエスを理解出来た。
ただ、言葉での表現には限界があるので、今後、少しずつ、繰り返し明かしていこう。








  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ